『鏡痛(きょうつう)の友人-①-』山城窓~プロ級作家が新境地を開いた超注目作!

 

鏡痛の友人
-①-

 

 

山城窓

 

 

 ハローワークを出て歩く、煉瓦敷きの歩道が硬い。地面の硬さなんか普段は感じなかったのに。周りに誰もいないから、誰かのせいでもないのだろう。
 月二回ほど通っているスーパー銭湯からの帰りと、ハローワークからの帰り。同じ道、同じ景色なのに、なんか違う。なんか落ち着かない。空は眩いばかりに青いのに……散髪を失敗したわけでもないのに……
 何がしたいのか、何ができるのかもわかんなくなってて、こりゃ自分探しってやつをやらなければ、とそう思った瞬間、歩道脇の公園のベンチに早くもそれを見つけた。スペースが余ったからって理由で造られたような、遊具はすべり台と砂場だけという殺風景な公園の緑色のベンチに、自分が座っている。そう、あれは私だ。私よね?
 私は足を止めている。目線もまっすぐベンチに座る私を見据えている。向こうの私はこっちの私に気付いているだろうか? やや近視の私はゆっくりとそちらへ向かい、彼女(私)を見定める。目は合っている。どちらが先に相手に注意を向けたのかわからない。
 さて、どうしよう。自分を探そうとは思ったけど、見つけた後のことは考えていなかった。まあ、せっかくだから話し掛けよう。こんなことって初めてだし。二度とないかもしれないし。
 近づく。歩み寄りながら恐る恐る会釈すると、向こうも遠慮がちに会釈を返してくる。まもなく私はベンチの私を見下ろし、向こうは上目遣いを見せる。そして気付く。なんだか話しかけづらい。私って結構他人からは話しかけづらいのかな、なんて思うが、でもその話しかけづらさを上回る引力が私に覚悟を決めさせる。なんせ相手は自分だ。不審がられたり邪険にされたりってことはないだろう。
「あの……突然失礼ですけど……」と締まりのない声で私は切り出す。
「はい?」向こうは小首を傾げる。
「あなたは……私ですか?」
 クスッと上品に笑って彼女は答える。
「そういうふうに見えるみたいですね」
そういうふうに見えるみたい? この言葉……どう捉えればいいんだろう。私の迷った顔を見て、彼女は助け舟を出すように続ける。「鏡なんです、私は」
はあ、と私はうなだれる。助け舟にも上手く乗り込めず、その場を離れたい気持ちにもなるが、自分から話しかけておいて「そうですか、それじゃ」って帰るのもいかがなものか。ふと見ると、彼女は自分の傍らを目で示している。
「隣座っていい?」と反射的に私は尋ね、
「どうぞ」と彼女は待ってましたとばかりに即答。
隣に腰掛けて、すぐ間近で改めて彼女を観察する。光沢のある黒髪のロングで、それは私のダークブラウンのショートボブとは違うのだけど、やっぱりそれは私に見える。鼻も私のほうが高い。この子の目じりは私より垂れている。どこか幼く見える彼女だが……でもそれはやはり私だ。細かな違いはどうにか区別をつけようと、無理して拵えたかのようにさえ見える。
ふと見ると、公園の入り口から一人の大柄な女性がふらふらと歩み寄ってくる。買い物帰りの主婦といった風体で、スーパーの袋を両手に持っている。その女性はさっきの私と同じように頼りない口調で、私の隣の私に話しかけた。
「あなたは私のようですね……そっくりです」
「そういうふうに見えるみたいですね」と返答はさっきと同じ。
「はあ……」不思議そうにしながら、その主婦らしき女性はしげしげと自分を鏡だと語る女性を見つめる。そしてやがてその主婦らしき女性は荷物の重さに負けたのか「それじゃ……」といって立ち去る。
「ほらね」傍らの私が私に向かって微笑む。「みんなこんな感じ。私は誰から見ても自分に見えるみたいなの。今の人みたいに年齢とか体型なんかがまるで違うと、そんなに自分そのものには見えないみたいだけど、それでも自分のように見えたりするみたいなの」
どこか得意げな彼女を見つめながら私は曖昧に「ふ~ん」と応じる。鏡なのだとしたら、この子は私じゃないんだろうか。まあ、どっちにしたって自分を確かめるのには役立ちそうだ。
「よかったらさ」と私は目を見開く。「ゆっくり話したいんだけど。いいかな?」
「うん、いいよ」
「じゃあさ。ごはんでも食べながら話そっか。お腹空いてるでしょ」
「…ええ、まあ」たしかにお腹は空いているけど、どうしてそんなこと決め付けるのよって目で彼女は応じる。私はそういう目でよく見られる。

 

 彼女は名前を映子と名乗った。緑の葉が映えるけやき通りを並んで歩いた。歩くと右足の親指に痛みを覚えた。大した痛みでもないので気にせずにいた。映子に公園で何をしていたのかと問うと、「あそこに座ってたらよく他人が近づいてくるの。あなたみたいに」と映子は話した。暇な子なのだな、と思っていると、彼女は取り繕うように「今日は大学が休みで」だとか「すごく天気がよかったから」だとか頬を赤らめて口走った。
「あなたは?」とやがて映子に尋ねられて攻守交替。
「ハローワークからの帰り。仕事辞めちゃって今求職中なの」
「ああ、そうなんだ」と映子はいって鼻を啜る。仕切り直してまた尋ねてくる。「何の仕事してたの?」
「ただのデータ入力。水道料金のね、口座振替とかクレジットカード払いの申込書の内容をチェックしながらパソコンに入力していくの。延々と一日中。きれいに並べられたデスクで黙々と。二年続けたんだけど、このままでいいのかなって思えて辞めちゃった。なんか扱いも鶏みたいだなって思えちゃって」
「鶏?」解せない様子で映子は私の顔を覗き込む。「酷かったの? 扱いが?」
「ううん、そんなことない」と私は言葉が足りなかったことに気付いて慌てて首を振る。「環境は良かったのよ。待遇も。ちゃんと健康診断とかあってストレスチェックなんかもしてくれて。気の合わない人とずっと一緒にならないように、席も毎日替えてくれて。休憩室とかトイレも綺麗で。なんか行き届いている感じだった。でもね、『工場』で育てられる鶏もね、ストレスが掛からないように、栄養や健康に精一杯気を使ってもらってるの。そしてそれは毎日美味しい卵を産ませるためなのね」
 青々と茂るけやきに見惚れているのか、映子は斜め上を見ながら話を聞いている。もしかしたら聞いてないかもしれなかったが、どうせ相手は私だし、と思い私はそのまま話を続ける。
「だから誰も何も悪くないんだけどね、要は仕事の内容なの。もっとやりがいがあるというか、自分を活かせるような仕事がいいなってね、思ったの」
 結局は「社会の歯車になんかなりたくない」っていう青臭い若者の嘆きか、とでも言いたげな表情を映子は垣間見せる。特別な能力なんか持ってないくせに何を生意気な、というような目。私はこういう目でもよく見られる。

 

「私は鏡の国から来たの……ってなことをよくいってたの、子供のころね。そしたらいつのまにか鏡みたいになっちゃったの」ファミレスで注文した料理が揃うと映子は自分の性質を説明した。「中学生ぐらいから徐々に『なんだか映子って私に似てるね』っていわれるようになって。高校生ぐらいではもっと『あなた私にそっくりね』って言われたりして。最近では『あなたって私なの?』みたいな。あなたもそうだったね」
 映子は目を伏せながら、どこか慎重に語る。フォークでシーフードドリアを混ぜ返しながら。その慎重さはシーフードドリアの熱さを警戒してのものにも見えるが、過去の話に何かしら触れたくないことでもあって、そこを注意深く避けているかのようにも見える。気になったので私は、そのことで何か嫌なことでもあったのか、と訊いてみたが、彼女は首を横に振った。
「勉強がわからないときは、頼まなくても誰かが必ず丁寧に教えてくれたし、忘れ物をしたら『私の使って』ってすぐに手を差し伸べてもらえたし。いつもみんな自分のことみたいに親身になってくれた。逆に部活で活躍したり、成績が良くてもひがまれることもなくて、みんな一緒に喜んでくれたし。でも……」映子は口元を触りながら続けた。「時々は一緒にされたくない人もいる。それに私を自分と思うあまり遠慮がなさ過ぎる人も……」
 私はマヨじゃがピザをムシャッ、カリッ、サクッ、クチャっと口にしながら、その話を聞いた。話していると、映子は自分ではないように見えることもある。こういうところは私っぽくないなあ、とか。でも少しすると私にもこういうところがあるかも、って思えだして、やっぱりこの子は私だなって気持ちに帰着する。…目が痒い。
「花粉ってまだ飛んでるみたいね」目をこすりながら私。「もう終息期だって聞いたけど、今年の花粉はしぶといのかな」
「花粉症なの?」と映子。
「あなたがね」
 私の答えに映子は目をぱちくりさせて息を呑む。その目はどうしてそういうことを決め付けるのかと訴えている。ってかその想いは口からも零れた。
「どうして私が花粉症だって言い切れるの?」
「花粉症でしょ」
「そうだけど」
「わかるの。私はそういうのが」
「そういうのって?」
「他人の体で感じていることが私にも伝わってくるの」
「どういうこと?」
「あなたの目が痒いとき、私の目も痒くなる。あなたの指が痛いとき私の指も痛くなる」
「まさか?」
「右足の親指痛めてるでしょ?」
「……うん」
「今はそうでもないけど、歩いてるときジンジンしてたもん」
 ここまで話すと映子は、表情をガタガタとさせる。自分だけが特別だと思っていた者がそうではないと不意に気付いたときの反応。私はそんな姿を見たくなくて、彼女を称えるように補足する。
「あなたの感覚はとくに伝わりやすいみたい。他の人の感覚はもう少し引っかかりながら途切れ途切れに伝わってくるようなんだけど、あなたのは摩擦ゼロでするすると流れてくる感じ。やっぱり私同士だからなのかな」
「そうなんだ……」うろたえながらも彼女はふんふんと頷いてその意味を飲み込んだようだった。
「よく親にいわれてたの。他人の痛みのわかる子になりなさいって。そのせいで、こうなったのかもしれない」
「素直な体なのね」
「ひねくれてるのよ」
 映子は落ち着いた様子でクスッと笑い、グラスの水を飲む。ベチャベチャしていた口の中がすっきりと洗われるのを感じる。冷たさも心地いい。でも私の口が本当に洗われたわけじゃないので、つじつまを合わせるように私も水を飲む。
「ってことは」と映子が思い当たったのか不意に口を開く。「その能力を活かした仕事をしたいってこと?」
「そう。できれば」と私はいうが、いったとたんに気持ちが萎んでしまう。「でも何をしたらいいのかわからないの。こんなの活かしようがないのよ、きっと」
「そう?」と映子は訝りながら、頭の中で求人情報を閲覧しているのか中空を見上げて尋ねる。「看護婦とかいいんじゃない? 患者さんの痛みとか不調とかがよくわかるわけでしょ?」
「私病院嫌いなの。だってあっちが痛いとかこっちが痒いとかなんなら死ぬほど苦しいって人がいたるところにいるのよ。それを私はいちいち感じてしまうのよ。身が持たないわ」
「ああ…」なるほど、といった感じで映子は小さく頷き、まもなく提案を続ける。「じゃあさ、マッサージ師とか整体師とかそういうのはどう? 気持ち良くしてあげれば自分も気持ち良くなるわけでしょ?」
「駄目。だって気持ちいいばっかりじゃなくて、ときには痛くしないといけない場合があるわけでしょ? すっごく痛いのを施術する側が一緒に痛がってたら……わけわかんないじゃない。それに私不器用だし。だいたいがああいうのって資格取るのに時間もお金も掛かっちゃったりするでしょうし」
「じゃあ……風俗嬢なんかはどう? あれは痛くはしないだろうし、周りの人の気持ち良さをいろいろ感じられて…」
「それ以前に私ね、知らない男にいきなり直に触れ合うのって抵抗あるの」
 意外と何もないものなのね、といった顔で映子は肩を落とす。私がハローワークでしていた顔はこういう顔だったろう。
「あ、そうだ」映子は意地でも答えをひねり出すといわんばかりに続ける。「あのさ、うちの近くにスーパー銭湯があるの。『ほあほあの湯』っていうの」
「知ってる」と口元をナプキンで拭ってから私はいう。「私そこよく行くの」
「そうなの? 私もときどき行くの。あそこって結構穴場って感じでいいよね。スーパー銭湯にしては規模も小さめで料金も高くないし、そのわりに混んでないし」と、映子は楽しそうに話す。まもなく脱線しかけていることに気付いたのか、声の弾みを抑えるように続ける。「そこでね、従業員募集の貼り紙が出てたの。アルバイトだったけど。そういうのはどう?」
「どうって?」
「いいんじゃない? みんな心地よくしてるわけでしょ? その心地よさをあなたは一緒に感じられるわけでしょ? そりゃどこか痛めている人も来るかもしれないけど、病院みたいに耐えられないほどの傷みを抱えている人は来ないだろうしさ。ほんのりとさっぱりと心地よくしていられるんじゃない?」
「たしかに悪くない。だから私よく通っているんだもん。でもね、ときどき、サウナですっごく熱いのをずっと我慢している人がいるのよ。限界寸前までね。その人は自分の限界を知っているからいいんだろうけど、その熱さを同時に感じちゃう私は下手したら自分の限界を超えちゃいそうで怖いの。客としていっているときは適当に距離置けるからいいけど……そこで働くのはあんまり……」
「わかった」と映子はトリックを見破ったかのような、はっとした閃き顔を見せる。
「何が?」
「あなた逃げてるのよ。だから何もできないのよ。何もかもうまくはまることなんかそうはないんだから、どっかで努力とか我慢とかが必要なのよ」
 映子はなじるような目でそう語る。私はこういう目で見られたとき、だいたい目を逸らすか、ねめつけるかするのだが……そのどちらの反応も生じない。自分にいわれているからだろう、すぐにすとんと腑に落ちる。腹が立たない……
「よし、見えた」閃いた私は思わず柏手を打つ。
「何が?」と映子はきょとん。
「組みましょう。私とあなたが組めば上手くいくわ」
「だから何が?」
「占い師をやりましょう」
 何を言い出したんだ、と映子は異形の者を見る目だが、思いつきに引っ張られる私はもうどんな目で見られても気にならない。
「まずね」私は頭の中の見取り図を広げる。「私が人に声を掛けるわけよ。で、どこか痛めているところを言い当てて驚きと信憑性を生む。それからあなたのところへ連れて行って、あなたが運勢を見ればいいのよ。で、鑑定料をもらう」
「私、運勢なんか見れないよ?」
「いいのよ。適当なことをいっておけば。運勢がいいだの悪いだの、こういうことが起きそうだから、ああいうことは気をつけたほうがいいとか。ま、なんだっていいの。どうせ何がどうなるかなんか誰にもわからないんだから。それにあなたのいうことを相手は受け入れる」
「どうして?」
「自分にいわれたら納得してしまうものよ。誰も自分を否定したくなんかないし」
「でも私……」映子はシミュレーションしているのか目を泳がせる。「適当なことでいいっていっても……思いつかないわ」
「いいわ。それは私が考える」
「でも……」と映子はぐずぐず。そんな自分を見てられない私は語気を強めてかきくどく。
「あなたもバイト探してるんでしょ? ちょうどいいじゃない」
「そんなことまでわかるの?」
「そんなことまではわからない。ただの直感よ、これは。バイト探してる人って求人の貼り紙とかすぐ気になっちゃうものだから。さっきあなたがスーパー銭湯の従業員募集の貼り紙の話を持ち出したときにそう思っただけ」
 ああ、そういうことかと映子は首を竦める。もう一押しかな、と思い私は伝票を持って勢いよく立ち上がる。
「行きましょう! 早いほうがいいわ」
「ああ、うん」と映子は私に続く。「まあ、あなたとならなんとかなりそうね…」って言葉を私は背中で聞く。

 

 

つづく

 

 

 

 

作者紹介

山城窓[L]

山城窓

1978年、大阪出身。男性。
第86回文学界新人賞最終候補
第41回文藝賞最終候補
第2回ダ・ヴィンチ文学賞最終候補
メフィスト賞の誌上座談会(メフィスト2009.VOL3)で応募作品が取り上げられる。
R-1ぐらんぷり2010 2回戦進出
小説作品に、『鏡痛の友人』『変性の”ハバエさん”』などがあります。

 

 

 

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