『鏡痛の友人-⑤-』山城窓

鏡痛の友人
-⑤-

山城窓

 

 

 

 

 

 

 中四日で映子に会う……翔太も一緒に。あれから何度か試したが翔太は私にはどうしても女の子らしい姿をさらけだしてくれない。その姿を無理から引きずり出そうと私が迫るとボクサーのようなファイティングポーズで威嚇しつつ乳首を固く防御する。最初のときはまだ油断していたのだろう、警戒されていると強引にもっていくのはさすがに難しい。
「かわいいんだから」「私はそっちのほうが好きなんだから」っていくらいっても聞きやしない。本当に馬鹿だな、って思うが、
「おまえら女だってそうじゃねえか、男が『ぽっちゃりとしてるほうが好きだ』っていくらいっても『痩せないと、痩せないと』って頑なじゃないか」というのが翔太の弁。それに対して私も思わずふむと頷く。誰も彼も呪われ気味だということか。
あまりの強風がゆえに踏ん張ってても、その土台ごと吹き払われてしまうようなことなのだろうか。「気にしなくていいんだよ」だとか「君はそのほうが素敵だよ」だとか、そういった気遣うような科白を優しい口調でいったところで、「気持ち悪い」っていう腕力の強い言葉に投げ飛ばされてしまうのだろうか。だったらもっと強い言葉、「自分をさらけ出せないなんて根性なし!」だとか罵ってみせればよいのだろうか。よいわけがない。強く言えば硬くなるばかりで柔らかい部分が出てくることはない。
 そして私は映子に掛け合う。映子の部屋のふかふかのソファに隣り合って座って。翔太は私二人に対しては、どういう自分でいればいいのか体中が迷っているかのように、そこらへんをゆらゆらとうろついている。体重計に乗って「あれ? 俺六〇キロもないはずなのに、六十三キロになってる。この体重計おかしいぞ。ゼロがずれてるのか…あっ、ゼロはずれてないな」だとか一人でごちゃごちゃいっている。
 私はことの次第を説明し、「まあそういうわけだから、三人で一緒にやっていきたいの」と映子に協力を乞う。
「どういうこと?」映子は地図の中の現在地を探すようにじっと私に目を凝らす。私はかまわず映子に指示を出す。
「ちょっと翔太の方を向いてじっとしてて」
 ソファに座ったまま映子はいわれたとおり、斜めにずれて翔太と向き合う。私は翔太の背後に回り、彼の視界から消える。それから翔太に着替えを促す。彼はボストンバッグからカットソーとスカートとウィッグとブラジャーとショーツとタイツを取り出す。Tシャツとジーパン、トランクスを脱ぎ、彼は女を装っていく。何食わぬ顔で姿を移ろわせる翔太越しに、映子は心配そうな目をときどき私へ送る。大丈夫、これですべて上手くいくのよ、と私は目配せを返す。
薄く化粧も済ませて女の子に仕上がった翔太を後ろから抱きしめる。小刻みに震えてはいるが抵抗はしない。「よしよし、かわいい、かわいい」と頭を撫でてやる。翔太は「うれしい」と幼女のような声でつぶやく。胸を揉んでやると「やだあ」と甘ったれながら、その快感を味わっている。ただ私がその顔を覗き込むと、目が合った拍子に「おい、やめろよ」とまだ男が溶け残っているような声を発する。なので映子にもっとまっすぐ翔太に向かい合ってもらって距離も縮めてもらう。そうすると翔太は自分の世界に上手く入り込めたようで、私が少々覗き込んでも「アタシこういうふうにされてみたかったの」とすっかり女の子。
「ね?」と私は映子にいう。「本当にあなたの前だとさらけだせるみたいなのよ。こうやってあなたの近くであなたと向き合ってたら、本当の自分を」
 映子は何もいわない。言葉も表情も見失っているようで、ただそこにいて、こちらを見ている。仕方なく私は翔太の胸を揉みしだきながら映子に話しかける。
「逆にあなたは男っぽい翔太が好きなわけでしょ。だからあなたが翔太に抱かれたいときは、私が翔太と向き合ってればいいのよ。私に対しては常にこの子は男っぽくあろうとするから。それでもう一つの問題も解決する」
「もう一つの問題って?」
「私ね、話したと思うけど翔太とのセックスがぜんぜん良くなかったの。でもね、この間、あなたと翔太がまぐわっているときに、私はあなたの部屋の前にいてね、あなたの快感を一緒に感じてたんだけど、そのときは考えられないぐらいに気持ち良かったの。だから一昨日直接に翔太とまぐわってみたんだけど……でもそのときはさっぱりだったの。どういうわけだか直接は駄目だけどあなた経由だとすごく気持ち良くなるみたいなの」
「なんで……そんな……」
「わからない」と私はいってから付け足す。「でも仮説はある。単に性器の大きさの問題かもしれない。翔太の性器は小さくて私の性器にはフィットしないの。で、たぶんあなたの性器にはちょうどいいんじゃないかな。あとね、翔太は前戯が荒っぽいの。それで私は性器がひりひりしちゃって、そのぶんいまいちになっちゃうんだけど、あなたの性器は皮膚が厚いのか頑丈なのかわからないけど、とにかく強度が強いのね。ひりひりしないの。そういうことなんじゃないかな」
 映子は何かいいたそうに口を尖らせてはいるが、何もいわない。
「まあ、試しに一度やってみてよ。翔太をいったん男に戻すからさ。いいでしょ」と私が尋ねると、「映子はちょっと待ってよ」とゆっくり首を左右に振る。
「どうしたの?」
「あなたはそれでいいの」
「ああ、私?」と私は自分を指差して宣言する。「いいの、いいの。私もね、最初はどうかと思った。正直あなたが翔太に抱かれたのはショックだった。でもね、他の誰かじゃなくあなただからいいの。やっぱりあなたは私だから、それは別になんでもないって思ったの。そんなふうに割り切ってみたら、すべて上手くいくってことに気付いたの。誰にとってもね。私はあなた経由で抱かれることで気持ちよくなれるし、逆に女の子の翔太を責めることもできるし。で、翔太は男らしく私と付き合いたいとも思ってて、あなたに自分をさらけ出していたいとも思ってて。で、あなたは男っぽい翔太に抱かれることもできて、私と占い師を続けることもできる。ね?」
「違う」と映子が呻くように声を出す。
「何が?」
「あなたはさっき私の言葉を途中で止めたことにも気付いてないでしょ?」
「何いってるの?」
「さっき私は『あなたはそれでいいの?』って訊いたんじゃないの。『あなたはそれでいいのかもしれないけど、私は嫌よ』って言おうとしたの」
「嫌なの?」思わず私は翔太の胸から手を離す。翔太の前に出て映子と向かい合う。映子は立ち上がって鋭く言い放つ。
「だってそれって私はなんなの? あなたの道具なの? アタッチメントなの? 嫌よ、私は!」
「なんでそんなこというの? 三人で力を合わせればすべて上手く回っていくのよ。あなたは社会の歯車になるのを拒む者を軽蔑してたでしょ?」
「してないわよ! どうしてあなたは……」と映子はいつかのように何か言いかける。いつかと違って言いかけたその続きも口に出す。「体の痛みはわかるのに、心の痛みはわからないの? それはそんなに違うものなの?」
「わかってないのはあなたよ。あなたはいつも相手を映しているから、その相手は自分をわかってもらっているような気がして『あなたはよくわかってくれてる』みたいなことをいうのかもしれない。そんなことをいつも言われているからあなたは自分のことを『相手のことがよくわかる人間』なんだと思い込んでるんでしょうけど、あなたはそのまま映しているだけで、わかっているわけじゃない」私は早口でまくし立てて、まるで自分を守ろうとしているかのよう。
「冗談じゃないわ」と映子は目を私から逸らし、鋭い目つきで翔太に尋ねる。「翔太君はどうなの? それでいいと思ってるの?」
 翔太はすぐに言葉が見つからないようで口をぱくぱくさせ、やがて口に出した言葉は「そこはまあケースバイケースで……フレキシブルにやっていけば」
 聞こえるか聞こえないかぐらいの声で映子は「なんだこいつ」と呟いて、軽蔑したように翔太を見下す。この目は私の目だ。そうそう、そんなふうに私は翔太を見ていた。私は映子に歩み寄り、その肩を両手で掴んで宥める。
「いいでしょ。我慢や努力が必要なんでしょ。私だってね、肩の違和感を感じているの。でもそれを受け入れることにしたの。ちょっとのことなのよ。ちょっと妥協するだけでいいの。何もかも上手くはまることなんてないってあなたはいってたけど、それだけで何もかも上手くはまるのよ」
「離してよ」と映子は私の手を振り払う。「何もかもうまくはまってなんかない! 私は嫌だっていってんのよ! 自分の都合ばっかり押し付けて。どうして……そうなの。みんな勝手なことばっかり。私はあなたとはもっと上手くやっていけると思ってたのに。勝手なところはあっても、引っ張ってくれたり、補ってくれたりしてくれたから……」
「だから一緒にやっていきましょうよ」
「嫌よ、気持ち悪い」
 映子は苦々しそうに目を伏せてそのまま後ろを向いてしまう。困難から目を背ける映子はやはりいつかの私のようだ。私がそこに映っているというより、もはや映子は私と入れ替わってしまったかのよう。でも私は映子のようではない。従順で、でも自分はそれなりに楽しんでいるという映子のありようは今は翔太に感じられる。先に私と翔太が入れ替わって、それから翔太と映子が入れ替わったのだろうか。と、すると今の私は押し付けがましく偉そうな翔太か。私は自分を守るため相手に攻撃的になる翔太なのか。だが私はやはり馬鹿な翔太のようで、考えたくないことはこれ以上考えない。
ゆっくりと映子が私の顔を振り向いた。何かをもう一度確かめようとするその目は鋭いが、それでいてしょぼついている。私の目頭も熱くなる。ゴミ箱の中から不意に、ポゴっとペットボトルの凹みが戻る間の抜けた音が聞こえる。それをきっかけに映子は奥の部屋へ入った。困って翔太と顔を見合わせると翔太は「見るなよ」と凄んでくる。
 まもなくガシャーンとガラスが割れる音が耳をつんざいた。映子がやけになって窓でも割ったのかと、慌てて私は奥の部屋へ駆け込んだ。映子の姿はない。窓も割れてない。ただベッドの横にある姿見にひびが入っている。ひびは入っているが、破片はまったく飛び散っていない。姿見を正面から見ると、その中でひび割れた映子がこっちを見ていた。ざまあみろ、とでもいわんばかりに口元をにやつかせている。その唇からは赤い血が流れている。私は自分の口をさわってみるが、血は流れていない。ただ唇がじんじんと痛む。

 

〈了〉

 

 

 

 

作者紹介

山城窓[L]

山城窓

1978年、大阪出身。男性。
第86回文学界新人賞最終候補
第41回文藝賞最終候補
第2回ダ・ヴィンチ文学賞最終候補
メフィスト賞の誌上座談会(メフィスト2009.VOL3)で応募作品が取り上げられる。
R-1ぐらんぷり2010 2回戦進出
小説作品に、『鏡痛の友人』『変性の”ハバエさん”』などがあります。

 

 

 

 

 

 

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