『寝ぐせのラビリンス⑭』山城窓

 

 

 

寝ぐせのラビリンス⑭

 

 

 

山城窓

 

 

 

 

 

僕はゆっくりと歩いた。頭の中を整理しようとした。自分がすべきことを考えた。咲子とちゃんと話さなければならない。しかし榎戸が言うように、ただ話したって伝わらなければ意味がない。伝えるためにはいったいどうすればいいんだろう? 思えば僕はいつも相手のペースに乗せられて言葉を選び損ねている。どうやら答えを間違う質問というものがあり、質問の仕方を間違える応え方というものがあるようだ。…あれだ。「十回クイズ」っていうのがある。あのクイズの場合、じっくりと考えれば簡単に正解が出せる。が、誘導的な言い方と答えを急ぐテンポが誤った答えを引きずり出す。あれと似たようなものだ。だからまずは…じっくりと考えるか? でも今はそんな余裕はない。ならどうする? とりあえず…こっちのペースに相手を引き込むか? 榎戸が僕にしてみせたように。
僕は喫茶店に戻った。奥の席でユミカと咲子が向かい合って待っている。咲子は僕に気づいたのか睨むような眼で僕を見た。その視線に気づいたユミカは振り返って苛立たしそうに僕に言う。
「どこ行ってたのよ?」
「トイレだよ…」
そう言って僕はユミカの隣に座る。今度は咲子が不機嫌そうに僕に言う。
「何で私が待たされなきゃいけないわけ?」
「ちょうど十八時じゃないか?」
「ちょっと休憩早めてもらったのよ。それなのにあなたが十八時ちょうどに来たら意味ないじゃないの?」
「別に僕は悪くないだろ?」と言ってみたが僕の声は弱々しい。僕が悪いかどうかはともかくとして、どっちにしても僕のペースでは話せなさそうだ。
 咲子は紅茶らしきものをストローで吸いながら僕を睨んでいる。まるでこの三年間ずっと僕に腹を立てていたかのようだ。緊張した僕は一度椅子に座り直して姿勢を正す。何を言うべきかまた迷う。
「それで、何を話す気?」
 咲子が僕の言葉を待てずに問い掛ける。
「あの時」僕は仕方なく一番最初に過ぎった言葉を口に出す。「スキューバの時さ、本当にあのインストラクターたちは喧嘩をしていたんだ。君が海の底で岩に閉じ込められている時」
 呆れたように咲子は僕に言った。
「…そんなことをわざわざ言いにきたわけ?」
「もちろんそれだけじゃないんだけど。あの時僕は本当に君を助けようとしたんだ。ただ僕は無力で気が利かなかった」
「そんなことはどうでもいいのよ」咲子はうんざりしたように言った。「言い訳なんか聞きたくないの、私は」
「言い訳のつもりはないんだ」
「同じことよ。どんな事情があったとしても。私はあの時死ぬほど怯えてたの。本当に怖かったの。本当に死ぬかもしれないって生まれて初めて思ったし、実際にあのままあそこで死ぬ可能性はあった。その私をあなたが冷静に傍観してるのが私は堪えられなかった。そこにどんな事情があってもそんなのは関係ないの」
「謝る、ごめん。あの時は僕が悪かった」とりあえず僕はそう謝った。他に言葉もない。
「今さらそんなこと謝ってどうするの? まさか『やり直したい』とか言うんじゃないでしょうね?」
「いや、別にそういうつもりじゃない」と何故か僕はきっぱりと言い切った。
「何、その言い方? 私はもう懲り懲りってこと?」
「いや、そういうわけでもない。できたらやり直したい。でもそれは無理だろう、どうせ」
「『どうせ』って何よ? いちいち癇にさわるわね?」
「もしかして」僕は問い直した。「やり直せるの?」
「そんなの無理に決まってるでしょ!」…だったら気を持たせないで欲しい。
「君は…もう彼氏がいるの?」と僕は何となく訊いてみた。
「そんなことあなたには関係ないじゃないの」
「いないの?」
「いるわよ! とっくに。あなたはどうなのよ?」
「何が?」
「彼女は?」
「いないね」
 咲子は不思議そうな顔で僕の目を見つめた。その視線は傍らのユミカの方へスライドした。そしてまた不思議そうな顔をした。
「その子は彼女じゃないの?」
「違うよ、残念ながら」
「どういう人なの?」
「ただの会社の同僚だけど?」
「ただの会社の同僚がどうしてここにいるわけ?」
「成り行きだね」
「成り行き?」
「この子も僕の寝ぐせに関わってて…」と僕は説明しかけたが、咲子が怪訝な表情を見せていたので、少し語気を強めて言い直した。「そんなことはどうでもいいじゃないか?」
「気になるじゃない。どういう人かわからないと」
「ごめん」と僕はユミカに言った。「少しだけ外しててくれないかな?」
「その方が話しやすい?」
「たぶんね」
「わかったわ。そこらへんで待っとく。……この野郎」
 そう言ってユミカは喫茶店を出た。それを見送ってから咲子は言った。
「怒ったんじゃない?」
「いや、たぶん大丈夫と思う。ちょっと……ああいう子なんだ」
「そうなの?」と咲子は不思議そうではあったが、それ以上追究しなかった。そして気を取り直すように言った。「結局あなた何を話したいわけ?」
「何を話したいんだろう?」と僕は自問した。話したいことは山ほどある筈だった。いろんなことを話さないといけない筈だった。だが、いざ話す機会が訪れると何を話すべきかわからなくなった。もともと話すことなんかなかったのだろうか?
「じゃあ、私がちょっと聞いていいかしら?」
「何?」
「あの時あなたは私を探したの?」
「あの時って?」
「だからあのスキューバの後よ。私が先にホテルに戻って、そのまますぐに荷物をまとめてホテルを出た後よ」
「あの後は…」僕は思い出しながら答えた。「探さなかったよ。君はまた戻ってくると思ったんだ」
「どうして?」
「帰りの飛行機のチケットは僕が持ってたし。君が一人でチケットを手に入れて一人で帰れると思わなかったから」言った後で後悔した。また咲子を怒らせてしまうかもしれない。
「馬鹿にしないでよ」と咲子はそれほど怒った様子も見せずに言った。「それにそんなんだったら余計に心配じゃなかったの? どうして私を探さなかったの?」
「だから君はまたホテルに戻ってくると思ったんだって。君が戻ってきた時に僕はそこにいた方がいいと思ったから」
「…あなたは結局そうなのよ」
「そうって?」
「いつも先に言い訳を見つけてしまうのよ。自分が楽になるような言い訳を。その言い訳に合わせて動いてる。結局あなたは自分の体裁ばっかり気にしている。かっこつけてるだけなのよ、あなたは」
「そんなつもりじゃ…」
「あなたのつもりは関係ないの。あなたがどういうつもりであろうとあなたはかっこつけてばっかりなのよ。その不自然さが凄く鼻に付くの」
「不自然?」
「人間っていうのは凄く無様なものなのよ。それを格好よく見せかけるっていうのは凄く不自然なことなの。そして私はそういうのが大嫌いなの。要するにあの時のことがなくっても、私たちはすぐに別れることになってたわ。そう思わない?」
「…思う」と僕は言った。本当にそう思った。
「初めて気が合ったわね」
「初めてってことはないだろう?」
「あの頃は呼吸が合ってただけ。気が合ったことなんかなかった」
「でもそれはどっちが大事なんだろう?」
「どっちでもいいわよ、そんなこと」
 そう言って咲子はストローに口を付けた。氷が邪魔そうだったが、彼女は紅茶を完全に吸い尽くそうとしていた。その行為は僕という存在を世界から消し去ろうとしているようにも見えた。気のせいか彼女の目は潤んでいるようにも見えた。そうして紅茶を飲み干した咲子は僕に問い掛けた。
「もう行っていいかしら?」
「うん」と僕は肯いた。もう話すことはなさそうだ。「今日はありがとう。話してくれて」
「じゃ、さよなら」と言って咲子は店の奥へと戻った。その声は今まで一度も聞いたことのないような、か細い声だった。
 僕も勘定を済ませて店を出た。それから一度ガラス越に喫茶店の中を見た。咲子の姿をもう一度だけ見ておきたかった。でも彼女はなかなか現れなかった。その時、ガラスに映った自分の姿に違和感を覚えた。髪だ。髪が重力に従い、僕の頭の上に横たわっている。そうだ、寝ぐせが直っている。それに気づいて僕は一人でにやけた。にやけたまま喫茶店から目を切った。そして周囲にユミカの姿を探した。ユミカにも早く伝えたかった。見つかったのは堂村と榎戸だった。彼らは僕の髪を見た。寝ぐせが直っているのに気付いたのか大きく溜息を吐いた。そして僕から目を逸らしながら、よそよそしく僕の横を通り過ぎた。通り過ぎた直後に「自分さえよければそれでいいのかよ」と微かに聞こえた気がした。振り返ると、彼らが肩を落としながら遠去かって行った。なんとなく寂しく思えた。
「直ってるじゃないの?」
 ユミカの嬉しそうな声がした。声のする方へ向き直ると彼女は微笑んで僕に駆け寄った。そして僕の頭を撫でた。そしてより嬉しそうに言った。「直ってるわ!」
「おかげさまで」僕も微笑んで言った。
「結局咲子さんとはどうなったの?」
「終わったよ」と言ってから僕は言い足した。「咲子からしたらとっくに終わってたんだろうけどさ」
「そうでもないと思うけど?」ユミカが不思議そうに言った。
「…どういうこと? どうしてそう思うの?」
「咲子さんも寝ぐせが付いてたみたいだったから」
「咲子のは緩いパーマだろう?」
「わからないけど…そういうふうに見せかけてるようにも見えたから」
「見せかけてる?」
「だって化粧の不自然さが嫌いで、自然のまま、あるがままが好きっていう人が…茶髪にしてウェーブ掛けてたんでしょ? 本意じゃないけど、仕方なくそうしてるのかなって思えて。何かを誤魔化すために」
 僕はもう一度喫茶店の中に咲子を探した。でも咲子はまだ現れない。僕と咲子は結局お互いに何も伝え合うことができなかったんだろうか。そんな気がする。
「帰りましょうか?」ユミカが張りのある声で言った。
「うん」僕は掠れた声でそう答えた。何にしても僕は本来の自分を取り戻した。僕はまだこっちの世界でやっていける。そう思えることが今はただ嬉しい。

 

 

 

 

 

つづく!

 

 

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作者紹介

山城窓[L]

山城窓

1978年、大阪出身。男性。

第86回文学界新人賞最終候補

第41回文藝賞最終候補

第2回ダ・ヴィンチ文学賞最終候補

メフィスト賞の誌上座談会(メフィスト2009.VOL3)で応募作品が取り上げられる。
R-1ぐらんぷり2010 2回戦進出

小説作品に、『鏡痛の友人』『変性の”ハバエさん”』などがあります。

 

 

 

 

 

 

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