『寝ぐせのラビリンス③』山城窓

寝ぐせのラビリンス③

山城窓

 

 

 帰りしなにスーパーに立ち寄った。適当に食材やら石鹸やらをカゴに入れた。念のためにトイレットペーパーもカゴに入れた。レジに並ぶ前にヘアスプレーが目に付いた。少し迷ったがそれもカゴに追加した。強引にでもこの寝ぐせを一度押さえこんでしまおう。
家に戻りまず夕刊に目を通した。海外では宗教がらみの物騒な事件があった。国内では多くの犠牲者を出す事故があった。聖職者の性犯罪があり、自殺の増加を示す統計が発表されていた。そうしたいろいろな問題に対して多くの有識者が意見を並べていた。この世の中は僕が生まれた頃からこんな感じだ。そんな中で僕はただ自分の寝ぐせに頭を悩ませている。僕も生まれた頃からずっとこんな感じかもしれない。

 寝ぐせが付いてから四十八時間が経過した朝。僕は洗面所の鏡の前でヘアスプレーを手にした。その泡を髪に染み込ませ、櫛を使って強引に髪を寝かせた。髪を寝かせたままで僕はテレビを点け天気予報を見た。今日も晴れる。四月にしては暑くなる。しかし明日は雨かもしれない。そんなことを確かめてから、僕は再び鏡の前に立ち、髪の束縛を解いた。すると大人しく頭の形に沿うように寝ていた髪は、元の形状を記憶していたかのようにゆっくりと起き上がった。そして再び何かを主張するように空を向いた。もう一度押さえつけてはみたが、それはすぐに元に戻る。とりあえず帽子を被って家を出た。
 仕事場について車を降りる前に帽子を取った。バックミラーで髪の様子を窺うと、相変わらず寝ぐせは凛々と上向いている。
 仕方なく会社の洗面所で髪を洗う。ヘアスプレーを洗い落としてしまわないとこのままじゃ余計に固まってしまうだろう。時間を随分と無駄に使っている気がする。ヘアスプレー代を考えるとお金も無駄に使っているわけだ。なんだってこんなことになってしまっているんだろう? その謎を解く鍵は……ユミカだ。他には何もない。

 

 少しフライング気味に僕は昼休みに入った。そして休憩室でさっさと食事を済ませて、ユミカがそこに現れるのを待った。待ってみるとなかなかユミカは来なかった。思えば別にちゃんと待ち合わせをしているわけでもない。もしかしたら来ないんじゃないだろうな、と不安に駆られ出した頃、ユミカはコーヒーの入った紙コップを手にしてやってきた。髪を後ろで束ねたユミカはいつもより子供っぽく見えた。そのことを口に出そうかとも思ったが、彼女はその隙を与えてくれなかった。
「どんなふうにふられたの?」
「何が?」
「昨日の話の続きよ」
 ああ、と僕は言葉に成りきらない声を発した。
「その前に」と僕は意を決して強い口調で前置きした。「一度はっきりさせてくれないかな? そのことを話すことでどうして僕の寝ぐせを直せるんだ? そもそもこの寝ぐせは一体なんなんだ? 君は何を知っているんだ?」
「その前に」とユミカは僕の意志を蹴散らすように、より強い口調で言った。「あなたがどういうふうにふられたのかを話してくれない?」
「だから先に君が……」
「話したってあなたはたぶん信じないわ」
「信じない?」
「ええ」
「一言でいうと、あなたには寝ぐせが付く呪いが掛かっているのよ」
「寝ぐせが付く呪い?」
「ほら、信じないでしょ?」
「いや、信じないっていうか…」意味がわからない。「何それ? どういうこと?」
「言ったとおりよ。あなたには寝ぐせが付く呪いが掛かっている。だからあなたに寝ぐせが付いている」
 何を言っているんだ? 寝ぐせが付く呪い? 
「そんなの聞いたことないな」
「聞いたことがあるかないかは問題じゃないわ。そうでしょ?」
「…そうかもしれない」僕は仕方なく肯いた。実際今の僕は聞いたことのない症状に悩まされているのだから。それにしても…呪いと呼ぶには随分とささやかなものだ。
「それで、誰がそんな呪いを掛けたの?」と僕は試しに訊いてみた。
「私」とまるで他人事のようにユミカは答えた。
「君が?」と僕は混乱しながら問い直した。「君がどうして? 僕に何の恨みがあって?」
「恨みなんかないわ。ただ…」
「ただ?」
「あなたには掛かる気がしたのよ。寝ぐせが付く呪いが」
「どういうこと?」
「その呪いは、心に寝ぐせが付いている人にしか掛からないのよ。あなたには心に寝ぐせが付いているように見えた。だから呪いを掛けた。そしたら掛かった。そういうこと」
 彼女はまるで悪びれる様子もなく説明する。もしかしたら僕は怒るべきなのかもしれないが、怒れるほど状況が飲み込めていない。心に寝ぐせ? またわからないことを言い出したぞ。
「心に寝ぐせが付いているってどういうこと?」
「もう…」と苛立ちを示すようにユミカは言った。そんなこともわからないの?と言わんばかりだ。「そうね、トラウマはわかる?」
「わかるけど?」
「ああいう感じのものね」
「ああいう感じ?」
「トラウマというほど大仰なものじゃないから」
「よくわからないけど」僕はトラウマについて考えながらゆっくりと喋った。「要するに僕は過去に心に傷を受けて……」
「傷じゃないわ」とユミカが僕の言葉を素早く訂正した。「傷というほどはっきりとしたダメージじゃない。でもそれに近いものがあなたにはある」
「それが心の寝ぐせ?」
「そう。だから、言わばあなたの頭のその寝ぐせは、心の寝ぐせが具現化されたものなのよ。要するに呪いはそのきっかけを与えるものってわけね」
「ちょっと待って」僕は言った。「僕には心の寝ぐせが付いているように君には見えた?」
「ええ」
「それで寝ぐせが付く呪いが掛かると思った?」
「ええ」
「だからってどうしてそんな呪いを掛けるんだよ? 恨みなんかないんだろ?」
「ないわ」きっぱりとユミカは言い切った。
「だったらどうして?」
「呪いが掛かるかどうか試してみたかったの」
試してみたかった? つまり…僕は実験台? だとしたら…なんて身勝手なんだ。
「勝手に人を実験台にしないで欲しかったな」
「実験台なんて言わないで! そんなつもりじゃなかった!」とユミカは真剣な目で訴えた。
「だって君はただの好奇心で呪いを掛けたんだろ?」気圧された僕の声は震えていた。
「違うわ!」と彼女は鋭い黒目で僕を見る。しかし辻褄が合っていない。好奇心じゃないならなんなんだ? 彼女は続ける。「私はあなたを助けたかったのよ」
「助けたかった? どういうこと?」
「会社の人が言ってたの、あなたのことを。『仕事ができないわけじゃないけど、いかんせんやる気がない』って。私から見ても不思議だったのよ。すごく不満そうに退屈そうに仕事してて、でもだからどうするってわけでもないし。それで思ったの。この人には心の寝ぐせが付いているんじゃないかって。寝ぐせが付いているからやる気が出なくて、自分から何かを変えていこうと思えないんじゃないかって。でももしかしたらそうじゃないかもしれない。不満でも退屈でもなくて本当にこの仕事が好きで楽しんでやっているのかもしれない。わからないじゃない、そこは。で、試しに呪いを掛けてみたの。それでもし寝ぐせが付いたら私がその心の寝ぐせを直してあげようと思ったの」
 ユミカの言葉が本当だとしたら…彼女は僕を助けようとしてくれている? 自分の顔が火照るのを感じる。ただ腑に落ちない点もある。そうだ、
「それならそうと先に言ってくれればよかったんじゃないかな?」
「だってこんな話をいきなりしたってあなたは信じないでしょ?」
「そうだろうけど…」
 混乱は続く。少しずつ整理されながら、同時にまた散らかっていく。そして…片付かない。やがて僕は頭の中を整頓することを諦めて、さし当たって必要な事項を確認する。
「君の言っていることが本当だとしたら」と前置きして一番重要なことを聞く。「つまり呪いが解ければ、この寝ぐせは直るんだよね?」
「その筈よ」
「じゃあ、とりあえず呪いを解いてくれないかな?」
「それが解き方がわからないのよ」何故か彼女ははにかんで嬉しそうに応える。
「わからない?」
「うん」
「君が掛けた呪いだろ?」
「そうよ」
「なのに解き方がわからない?」
「そう、そこまで聞かなかったから」
「聞かなかった?」
「ええ。だからとにかく心の寝ぐせを直せばいいのよ。さっき言ったでしょ? それはあなたの心の寝ぐせが具現化されたものなの。だからあなたの心の寝ぐせが直れば自然と直る」
「心の寝ぐせを直せば?」
「そう。だからまず話してくれない。あなたにどうして心の寝ぐせが付いたのかを」
「そう言われても……」まだ僕は状況を充分には把握していない。何が僕の心の寝ぐせを生んだのか?

 

 

つづく!

 

 

 

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作者紹介

山城窓[L]

山城窓

1978年、大阪出身。男性。
第86回文学界新人賞最終候補
第41回文藝賞最終候補
第2回ダ・ヴィンチ文学賞最終候補
メフィスト賞の誌上座談会(メフィスト2009.VOL3)で応募作品が取り上げられる。
R-1ぐらんぷり2010 2回戦進出
小説作品に、『鏡痛の友人』『変性の”ハバエさん”』などがあります。

 

 

 

 

 

 

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