小説『やすちゃん』にゃんく

 

 

 

 

やすちゃん

 

文/にゃんく
冒頭イラスト/にゃん子
本文挿絵/ササハラ

 

 

 ぼくが小学校に入学して初めてできたともだちがやすちゃんだった。
  やすちゃんが津田でぼくが寺川だから、ぼくたちは五十音順の出席番号で前後に並んでいた。ぼくたちがともだちになったのは、ただそれだけの理由によるところが大きかった。子どもはしあわせである。大人となるとこうはいかない。
 やすちゃんはメガネをかけていた。なかなかハンサムなやつで、(ぼくは彼の母親を知っていたが、たぶん母親が美しかったからだろう。何年か先になってわかることだが、やすちゃんの妹もかわいらしい顔だちの女の子だった)メガネの奥に澄んだ瞳が燦めいているという感じの子どもで、美青年といってもそれほど言い過ぎではなかっただろう。その頃ぼくは目が良かったのだが、やすちゃんに影響されて、目が悪くなってもいいから自分もやすちゃんのようにメガネをかけてみたいなといつも憧れていたくらいであった。ぼくとやすちゃんは同じ三月うまれだったけれど、ぼくはやすちゃんに教えられることが多かった。その大半が今から考えると、不良ともいえる事柄ばかりだったようにも思えるのだが。
 たぶん小学一、二年生のころだったと思うが、やすちゃんがはじめて自宅に遊びにきたとき、親に言わせれば、ぼくはものすごく嬉しそうな顔をしていたそうである。その前の週の日曜日にも、実はやすちゃんを自宅に招待していたのだけれど、約束していたにもかかわらずやすちゃんは我が家を訪れることはなかった。
 飼い主から<待て>を命令されてずっとお座りして待機している犬のように、半日待ちぼうけを喰わされたぼくは、翌日登校してやすちゃんに訊ねた。
「昨日待ってたんやで。なんで来(け)えへんかったの?」
 やすちゃんは笑顔でこたえた。
「行ったんやけど、道に迷って辿りつけへんかった」
 今から思えば、たぶん嘘である。やすちゃんはぼくの家に向かって一歩もその歩みを踏みだしてすらいなかった筈である。でも、その頃のぼくはやすちゃんのことばを信じて疑わなかった。だからこそ、翌週にやすちゃんが家に遊びに来てくれて、ぼくの喜びはおおきかったのである。やすちゃんがはじめて我が家にやって来た日、ぼくの両親と弟もくわえて、たこ焼きを食べた。自家製のたこ焼き器で。ぼくとやすちゃんはピックで焼き器の穴のなかをほじくり廻し、たこ焼きをつくるのに夢中になった。けれどまだ慣れていなかったから、技術的に下手くそで、どれも歪なかたちになってうまく真ん丸いたこ焼きが出来あがらなかった。ぼくの母親が見かねて、「下手ねえ」と言いながら、ぼくたちからピックを取りあげて代わりに作りはじめた。母親の手首の使い方は年季がはいっていて、ぼくたちの何倍も作るのが早かったし、出来あがったたこ焼きも真ん丸で、店で売られているようなきれいなかたちに近かった。
 ぼくたちは何となくつまらなくなり、まだお腹もくちくなっていなかったけれど、外に遊びに出かけてしまった。別に下手でもいい、人が作ってくれたものを食べるのではなく、ぼくたちは自分でたこ焼きを作ってみたかったのだ。

 

 或る日、やすちゃんと遊んでいたとき、いっぴきのミツバチが花びらにとまっていた。それを見て、やすちゃんがぼくに囁いた。
「葉っぱを持って、ミツバチを握ったら、刺されても痛くないで」

 

 

 

 そんなもんかとぼくは思った。たしかに素手で蜂に触れると刺されて痛いが、葉っぱいちまい掌にひろげて、それをもってミツバチを握れば、葉っぱが盾となり、刺されても痛くないというのは道理だな、とぼくは半信半疑ながらも考えた。そして手ぢかにあった葉っぱを手にとり、じっさいに蜂を掌に握ってみた。痛い。すごく痛いよ、やすちゃん。ぼくのやり方がまずかったのかい? 葉っぱなんて、まったく何の役にもたっていなかった。やすちゃんは、「大丈夫?」とぼくのことを何度も心配してくれ、手あてもしてくれた。ぼくは、「大丈夫」と小声で応えていた。
 そんな出来事もあったが、ぼくはやすちゃんのことを恨んだりすることはなかった。やすちゃんもぼくを陥れたりからかったり馬鹿にして遊んでいたというわけではなかったと思う。ただぼくが従順に言われたとおりするものだから、興味本位で成り行きを見まもっていたというところだったろう。
 やすちゃんはある意味嘘つきの天才だった。だからこそきまじめな人間より一緒にいて楽しかったのだと思うし、彼のつく嘘は子どもらしくてたわいのないものだったから、憎めなかった。嘘をつくからといって彼のことを嫌うにんげんもいなかった。
 やすちゃんにとってぼくは数おおくいる友達のひとりだったかもしれないけれど、ぼくにとってやすちゃんははじめてできた大切な友人だった。
 ぼくたちはよく家電量販店から万引きをして(遊んで?)いた。その家電量販店は今はもう潰れてしまっているが(まさかぼくたちの盗みのせいで潰れたわけではなかろうが)、ぼくはやすちゃんの盗みに子分のように付き従うかたちで入門した。ぼくが盗賊の一味に加わる以前は、やすちゃんは単独で盗みを敢行していたらしく、彼がもっともよく盗んでいたのが、その頃流行っていたプラモデルで、恐竜などに似たかたちの怪獣を組みたててつくる商品である。
 やすちゃんは万引きの戦利品を、あまり人の立ちいらない、見とおしの悪い駐車場に運びこみ、そこでよく組みたてていた。ぼくたちはまだ小学二年生くらいだったから、店の警備員も子どもには当然それほどの警戒を払っているはずもなく、駐車場にはぬすまれたプラモデルの空の箱が幾つも捨ててあったのを憶えている。
 盗みの分野ではやすちゃんはぼくの師匠であったわけだが、それもはじめのうちだけで、そのうちどちらが主でどちらが従というような関係はなくなり、お互い気に入った商品に目星をつけて、ふたりで協力して(?)盗みをおこなうようになっていた。たとえばプラモデルばかりでなくヨーヨーも盗んだりした。ぼくたちはヨーヨーで遊んだあと、それを公園で遊んでいた知らないこどもにあげたりして悦にはいっていた。
 或るとき、レバーを廻すとガチャガチャのようにガラスのケースのなかからガムをひとつ取りだせるという、ぼくらの胴体と同じくらいの大きさのおもちゃがあって、ぼくたちはそれに狙いをつけた。
 ぼくたちはそれまでいちども摑まったことがなかったから、摑まるかもしれないという考えをまったく持たぬ、向こう見ずな怪盗だった。かず多くの盗みの成功体験がぼくたちの結束を高めているように感じていたし、何が起ころうともぼくたちは鉄の友情でつよく結ばれていると考えていた(すくなくともぼくは)。
 そのガムのはいったおもちゃのまえまで来ると、ぼくは大胆にもその商品の詰めこまれた箱を胸に抱え、店員のいない隅っこのレジスターの脇をやすちゃんと共にすりぬけようとした。
 誰もぼくたちを注視していなかった。うまくいったと思った。
 けれどレジスターをぬけ、階段を盗品を抱えたまま下りていったところ、目のまえにエスカレーターからおりてきたらしい、巨大な警備員の影があらわれた。
「それどうすんの?」
 警備員は眉をひそめて言った。
 ぼくは戦慄した。このような事態に直面することは想定外のことであった。盗みをおこなうということが後ろめたいことであることはわかっていたけれど、それがどのくらい悪いことでどのような結果を惹起することになるかについてまったく無知であったし、自分たちがやっていることをただのゲームのように考えていた。だから自分たちの軽率な行為がこのような物々しい制服で身をかためた警備員のおじさんを招きよせ、これから彼によるきびしい取り調べ(もしかしたら拷問にちかいものかもしれない)がはじまる気配であることを知ると、ただただ怯え、狼狽するばかりであった。
 しかし、やすちゃんはそんなぼくを尻目に、事態の打開をはかるどころか、
「てーちゃんが……」
 と譫言のように同じセリフを繰りかえしていたのである。「てーちゃんが……」
 それはてーちゃん(ぼくのことだ)が盗むことを提案したから、自分は嫌々ながらもそれに付き従っていただけだ、だから自分は無実なんです、という弁解を意味したことばだった。ぼくに言わせれば、それは明白なやすちゃんの裏ぎりでしかなかった。信頼していた友人に目のまえで裏ぎられたことにぼくは衝撃をうけていたわけだが、警備員があらわれた今となってはそのことについて口論したり、互いに罪をなすりつけあったりしている場合ではなかった。
 ぼくは、「これから払うところですっ」とか何とか、とにかく毅然とした(窮地に追いつめられると、ぼくは普段以上の実力を発揮するところがあった)対応をし、くるりと踵をかえし、階段をのぼって胸にかかえていた商品を元の棚にもどすと、まだぼくたちの動きを監視しているらしい警備員を横目に見ながら、ディスカウントストアをあとにした。結果的に、ぼくたちは何のお咎めもうけなかった。警備員のおじさんからしてみれば、面倒なガキどもをお払い箱にすることができただけでも、しごとの負担が軽くなってほっとしていたのだろう。
 ぼくとやすちゃんのあいだで、この後このときの失敗のことが話題にのぼることはなかった。子どもにとってすぐに忘れ去られてもよいような出来事といってもよかったし、あの失敗は謂わば一時的な火傷のようなものであったのかもしれない。火傷はあっという間に恢復し、ふたりの関係にしこりを残すようなことはなかったのだ。(ぼくはそれでもふとしたときに思いだすことがあったが)。
 そんなこともありぼくたちは万引き稼業から足をあらった。

 

 妻が台所で夕飯の支度をしている。ぼくが居間のテーブルに坐りテレビを見ていると、妻が叫び声をあげたので、何事かと驚いた。
「痛いっ」
 妻がほとんど泣き叫ばんばかりに絶叫し、床に蹲っている。
 ぼくは妻に身をよせた。どうしたと訊くと、指をきったという。見せてと言っても、傷ついていないほうの手でしっかり覆っているため、具合がよくわからない。傷を見るのがこわいのか。ぼくはようやく妻を落ちつかせ、その手を脇へのけた。妻の小指がほんのすこし切れて血が僅かに滲んでいた。拍子ぬけするとともに、ほっとする。そして救急箱を持ちだし妻の指を消毒してやると、絆創膏をぱちんと貼ってやった。妻は絆創膏の貼られた指をしばらく見つめていた。そしてまもなくさきほどまでの取り乱しようが嘘のようにけろっとして、
「チッチキチー」
  グーをした指に絆創膏の貼られた親指を立ててみせ、ぼくにそう言った。何がチッチキチーだ、とぼくは、すこし思った。

 

 

つづく

 

 

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執筆者紹介

 

 

にゃんく

にゃんころがりmagazine編集長。
X JAPANのファン。カレーも好きです。まだ30代。でも、四捨五入したら……。
去年、タイにひとりで旅行に行ってきたことが自慢です。

 

 

 

 

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