小説『やすちゃん④』にゃんく

やすちゃん

にゃんく

 

 バンドをやめたのと同じころ、高校のクラスメイトのひとりを家に招(よ)んで遊んだことがあった。ぼくが友達をもてなすために、日頃お気に入りの音楽を聴かせてあげようとカセットデッキのボタンを押すと、WANDSの曲がながれはじめた。それを聴いて級友が言った。
「WANDSなんか聴いてるの?」
 ぼくが尻ごみしながら頷くと、
「ダサい」
 と級友に馬鹿にされた。ぼくは恥ずかしい気がした。WANDSを好きな自分の音楽センスまでも疑った。級友が帰ったあとも、そのことばを時々思いだし、WANDSなんか聴くべきではなかったなどと思ったりした。
しばらく気にしないようにしていた。級友への反発もあり、ぼくはWANDSを聴いていたけれど、この出来事が影響したのか、ぼくはやがてWANDSを聴かなくなった。

 

 ぼくはマンガも好きでよく読んでいた。少女漫画はほとんど読まなかったけれど、主にジャンプコミックをよく読んでいた。ピアノ教室の先生に年頃のむすこさんがいて、そのむすこさんが毎週ジャンプを購入しているのだが、ぼくがレッスンの待ち時間のあいだにジャンプを読み耽っているのを見て、ピアノの先生が一週遅れの、むすこさんが読みおわったジャンプをぼくに呉れるようになった。ぼくの家はジャンプなんて毎週購入できなかったからぼくはそれをこの上なく喜んだ。ピアノのレッスンに行くというより、ジャンプをもらいにいくことのほうが楽しみであった。
 ぼくは母親から常に節約せねばならぬことを説かれていた。日頃着用する服から食べ物に至るまで、母は可能なかぎり出費を抑制するようぼくに命じたし、実際そのような理念のもとぼくは日々の生活をおくっていた。その点では母は巷の平凡な主婦とかわりなかったのかもしれないけれど、一方で母は毎日せっせと宝くじを購入し、ハズレ券の山を積みあげていた。宝くじを買うのをやめればそんなに吝嗇(けち)らなくともすみそうなものだが、宝くじに関しては「買わないと当たらないわ」が母の口癖だった。宝くじを購入した金額の累計はいったい幾らになるのだろうとぼくは随分あとになってから考えたことがある。
 ぼくはこれでも母親思いの子どもだったから、できるかぎり母親に負担をかけることは慎むよういつも努めていた。
 高校生のとき音楽の道にすすむか文学の道にすすむかで真剣に悩んだことがある。その道に才能があるかどうかはさておき、選択の自由は誰にでもあるはずである。
音楽は金がかかりそうだった。
 その点文学であれば貧乏でもできそうだった。さすがに両方を極めることは
難しいように思われたから、ぼくはそれ以来文学のほうに力点をおいてできればその道を極めたいと考えるようになった。当時ぼくは太宰とか安部公房とかを読んでいて、小説家になりたいと思っていた。

 

 或る時マンガを読んでいるぼくに、母親がマンガなんてやめなさいと言った。マンガより小説のほうが優れている、と母親は説いた。小説にはイラストがないけれど、逆に自分で想像するからいいのよ、と母親は説教した。半分わかったようなわからないような説明だったが、ぼくはそんなもんかと思った。マンガが幼稚であるというのは父も同意見であった。当時の新聞なども大方そのような意見だったと思う。両親も、新聞などの意見に洗脳され、そのような偏見に満ちた受け売りをしたのだろう。ぼくにとって父や母がおとなの世界の代弁者だった。両親が言うことが、おとなの言うことなのだ。そして自ら考えるちからを持たなかったぼくは、断食をする修行者のように、読みたい欲求に苦しみながらもマンガを読む習慣を廃した。
ともだちや母親などの一方的な意見など話はんぶんに聞いていれば、ミュージシャンや漫画家にこそなれなかったかもしれないけれど、ぼくの世界は今とは違ってもっと広がっていたに違いなかった。
 ぼくが二十代後半になると、国がマンガを海外に売りだそうとして動きだした。大人たちがかつて軽蔑したマンガが、日本の貴重な文化だという。この変化は、いったいどうしたことかと思った。マンガへの偏見が、百八十度ひっくりかえったのだ。マンガは一夜にして市民権を獲得した。でもぼくは、いちど捨ててしまったマンガへの愛着を、すぐに取り戻す気にはなれなかった。
 マンガだけではなかった。テレビゲームにしたって同じことだった。両親に言わせれば、テレビゲームは悪以外の何物でもなかった。外で遊びなさいと大人たちは言った。ぼくはゲームの習慣も、かなり苦労をして捨てた。そしてある時期から、ゲームは日本の文化になった。
 ぼくはそのようにして、人の意見に左右され、親の意向を気にかけながら、自分の世界を自分の手によってどんどん狭めてきた。何もそれを言いだした者たちの罪を追及するつもりはない。そして同じことを繰りかえさないように、人から何と言われようと、自分の考えはしっかりもっていかねばならないとぼくが気づいたのは、随分後になってからだった。そのことで最終的に損をするのは自分だし、他人が自分たちの行った発言について責任をもってくれるわけではないのだ。

 

 ぼくは大学受験をし、四つ受験した大学のなかでひとつだけ合格し、そこに通いはじめた。
 京都の山奥にある大学だった。実家からは電車やバスを乗り継いで、かたみち三時間ちかく通学に時間がかかったが、ぼくの両親は一人暮らしをさせてくれなかったから実家から通わざるをえなかった。バイトをして生活費を自分で稼ぐから独り暮らしさせてほしいと何度直談判したか知れない。けれど親は「駄目」の一点張りだった。父親はしごと帰りには毎日飲み歩き帰宅するのは0時前ということが日課のようになっていた。休みの日には会社の人とゴルフに出掛けていた。ぼくを単身住まいさせると、飲み歩いたりすることができなくなると怖れたのかもしれない。
 父親は酒飲みで、家にいるときはテレビばかり見ていた。たまにぼくと会話するときがあっても一方的に父が自分の意見を論文のようにまくし立てるだけで、ぼくが何かことばを差し挟む隙がなかった。子どもは無口で静かなのがいちばんだと考えているふうだった。実際ぼくが何か言い出すと父はそれに反応をかえすのが面倒なようだった。それでいてぼくがそんな父をさけるような素振りをみせると、父はよく不機嫌になった。要するに父はめんどくさくて怒りっぽくて親しみの持てないにんげんでしかなかった。

 

 けれど何かに迷ったとき、落ち込んでいるとき、やすちゃんと話すと、不思議と自分の抱えている問題は、ちっぽけなもので、まったく悩んだりくよくよするようなことではないという晴れ晴れした気持ちになることができた。
 やすちゃんは彼女がいたりいなかったりする時期があったけれど(ヒラメとはすぐに別れたらしい)、ぼくは大学生になっても依然異性と付きあう経験もなく、いたずらに時がすぎていった。
 一年生のときロシア語学科に在籍する女学生と知り合いになったことがあった。ロシア人のように色白の、清楚という形容がぴったりするような女生徒であった。
ぼくは彼女の実家の電話番号を聞きだし、用もないのに電話をかけたりしたけれど、彼女は黒くてきれいな長い髪を揺らしながら、
「家にはかけないで」
 と言った。それは考えてみれば当然のことだった。実家に電話すれば親がでる。そういうのはぼくだって面倒なのだ。だから代わりに彼女のメールアドレスを教えてもらい、何度かメールのやり取りをした。
 彼女はクラシック音楽が好きだった。ぼくたちには共通した趣味があった。
音楽の話をしていると、彼女はショパンの「ノクターン」という曲にたいへんな憧れを抱いているということがわかった。これはチャンスだとばかりにぼくは、
「ノクターン、弾いてあげるから、おいでよ」
 と彼女を家に招待した。
 けれど彼女は訝しそうに、
「ほんとうに弾けるの?」
 と言った。ぼくはまばたき一つしたあと、さっきよりも弱気で、それでもそうとは悟らせない声で、「弾けるよ」とちからを込めて言った。彼女はまだ信じかねているみたいだった。ぼくはその頃にはもうピアノ教室に通っていなかったけれど、どんなに難しい曲でも練習しさえすれば最終的に必ず弾けるようになるという信念のようなものをもっていた。何度か発表会にも出たことがあるけれど、はじめは弾けないと匙を投げそうになった課題曲でも、毎日の練習によりすこしずつ弾ける領域が増えていった。それに「ノクターン」なら聴いたことがあった。そこまで難解な曲とはおもわれなかったのである。
「十年やってたくらいで、弾けるか?」
 と彼女は挑発的に言った。ぼくはその頃には怯んだ気持ちを立てなおすことができていた。余裕の笑みで、「弾けるよ」と彼女に応じていた。ぼくのあたまのなかにはすでに、「ノクターン」のとろけるような旋律が渦のように駆けめぐっていた。「ノクターン」を媒介にしてぼくと彼女がむすばれるとしたら、これほどうつくしい物語は他にないとさえ思えた。
 だがぼくは家に帰り手に入れた「ノクターン」の楽譜をまえにし指がとまった。
すごく難しかった。
 一生懸命練習した。毎日まいにち彼女を想って右手と左手にわけて交互に訓練した。でもどうしても駄目だった。「弾ける」のはよくて最初の数小節だけだった。片手だけなら何とかなるのだが……もちろんそんなことでは彼女のいう「ノクターンを弾ける」ことにはならないだろう。
「十年やってたくらいで、弾けるか?」
 彼女のことばが蘇った。その重みを今更ながら痛感した。なんでこんなに難しいのか。「ノクターン」さえ弾ければ彼女を家に招待することができるのに、なんでショパンはこんなに難しい曲を作りやがったのかと歯がみした。もしかしてショパンは今日という日を見越してわざとぼくに弾けないような、難しい曲を用意しておいたのかとさえ邪推した。
 そこで仕方なく「ノクターン」をダシにすることはあきらめ、ストレートに彼女に告白したが、まったく相手にされなかった。けれどもこの拒絶は当然といえば当然だった。課題から逃げて彼女だけを手に入れようとした軟弱なおとこに、彼女が見むきもしないのは道理だった。
『竹取物語』というものがある。竹林の竹のなかから発見されたかぐや姫が、絶世の美女に成長し、言い寄るおとこたちに難題をだし、その難題を克服したひとと結婚すると申しわたした、あの不条理極まる、それだからこそうつくしさに満ちた、あの物語である。
 動物の雌は人間ほど雄をえり好みするわけではないが、おのれの伴侶にするおとこは自分の提出する課題を物ともしないような逞しいおとこでなければならないとでもいうように、おんなはおとこを念いりに選ぶ。考えてみれば、おんなの選別により、にんげんの文明はこれほどまでに前進してきたのではないか。それがなければ、科学だって音楽だって文学だって人間社会はここまで高度に発展してこなかっただろう。
そういう意味でロシア語学科の女学生のやったことは意地悪なんかではなしに、人類の宿命、おんなのもつ性(さが)のようなものだと言えるのではないか。いずれにせよ、彼女は月にかえって行ってしまった。達観している場合ではない。この淘汰というおそろしい舞台で踊らされるおとこの身になれば、おのずとその形相は必死なものとならざるを得ない。
 そしてぼくはもっと真剣に、彼女のだした難題を克服する努力をするべきだったのである。

 

 

 

つづく

 

 

 

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執筆者紹介

にゃんく

にゃんころがりmagazine編集長。
X JAPANのファン。カレーも大好き。
美術刀『へし切り長谷部』を入手し、最近ご機嫌な30代。

 

 

 

 

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