ひとりの少年の物語~安田てるひさ物語

福岡県春日市に、安田てるひさという少年がいた。
これは、実在する安田てるひさという少年の、絶望と希望の物語である。

そんなこともありましたが……。
安田てるひさ少年は、高校に進学します。
高校に進学して間もなく、安田さんの兄が、バイク事故を起こします。お兄さんはなんと、膝が割れ、半年近く歩けない状態に。

 

お兄さんがてるひさ少年に、泣きながら「すまん」と謝ってきます。
てるひさ少年が、事故を起こしたことを謝っているのかと思っていたら、意味がちがいました。それは、「高校を辞めて働いてくれ」という意味でした。

 

悲しくも、安田てるひさ少年の、短い高校生活はおわりをつげます。
生活費を稼ぐため、バイトの職種を選ばず、てるひさ少年は15歳からでも働ける仕事をはじめました。

 

しかし、高校を辞め、安いバイト代でこれから一生つづけていくのかということになると、暗然たる思いにおそわれることもあったでしょう。
ある日、中学時代の担任の先生が偶然通りがかります。
「大検を受験してみないか?」

 

安田さんは、学習本を開いてみます。ひさしく勉強から遠ざかっていたため、わからない問題ばかりでしたが、1年あれば何とかなるという手応えを感じ、独学を開始します。
そして、大学の費用を稼ぐためもっと働かないといけない、東京なら仕事はあるし、チャンスもあるだろうと考え、鞄1つで東京の友人宅へ押しかけるのでした。

 

てるひさ少年は、誰からの援助もなく、学費や生活費を稼ぎ、妹の授業料も仕送りし、無事、大学入学をはたします。

 

大学卒業後は、「世界の金融マーケットは成長期にある。これからは日本が世界の金融大国になる」と考え、大手金融投資会社へ就職します。

 

入社式では、新入社員の代表として、式のホールで心意気を発言したこともあります。
(「この会社を日本一の金融会社にします。そして、30歳までに社長就任します。」と発言し、父兄や役員の失笑を買ったことも。)

 

そして、安田青年は、母親を楽にさせたいという目標があったためでしょう、出世が早く、入社わずか4年めで課長職を命じられ、29歳で、日本ファースト証券株式会社の専務取締役営業本部長に就任します。

 

安田青年の活躍はつづき、その後も、会社を代表し、マスコミ対応などをする忙しい日々をすごします。
しかし、その活躍があまりにも急進的だったためか、開催された緊急役員会議で、とつぜんの取締役解任を言い渡されます。
当時は、なぜこのような仕打ちをと悩み苦しんだ安田青年でした。協調性を大切にする当時の企業オーナーは経営改革を望んでなく、序列や協調性を大切にする考えであり、株主としては仕方のないことでもあったのです。

 

安田青年がこれからどうしようか悩んでいたところ、ある上司に久しぶりに会い、こんなことを言われます。
「会社を作ろう。お前が社長になるといえば、優秀な人材は集まる」。

 

その誘いが転機となります。
安田さんは、再起を期し、30歳でコスモFXジャパン株式会社のオーナー社長に就任します。当時は社員も少なく、小さな会社でしたが、FX取引に関しては経験を積んでいた安田さんは、3年目には会社を資本金1億円、社員200人程度の会社に成長させます。その後もバリバリと経営者として辣腕をふるい、気がつけば、子会社7つを経営指南する身に。

 

そして、安田さんは、念願であった母親の借金を完済できました。また、故郷である福岡県春日市に、貧困で苦しむご家庭に少しでも希望をと、寄付をします。(井上春日市長から直々に表彰もされます)

 

会社が軌道に乗ってから、安田さんははじめての長期休暇で、世界一周旅行にでます。
いろんな国をじかに見てまわった際、安田さんが思ったことは、「政権が民衆から富をとりあげ、民衆は貧困が当たり前になっていること」だったそうです。
「政治家は税の徴収分配、法律を作ることが出来る。それを間違った方向に使えば、中世の奴隷制度のような国になる」と感じます。
帰国する飛行機のなかで、安田さんは思います。
「日本は本当に恵まれている。貧困を経験したつもりだが、外国ではさらに悲惨なことが当たり前のようにある。改善するには、やはり政治の力が必要」。

 

それから、安田さんは、日本の税制や会計について勉強するため、文京学院大学大学院経営学部に入学し経営学及び税法を学びます。さらに、LEC会計大学大学院高度専門職会計専攻に入学し、会計学修士となります。

 

「公平な税制こそが公平な政治です。そして政治は国民の生活を豊かにするものであり、政治家は具体的な政策を実行しなければなりません。そのためには、自分が本当に得意とする分野を持つべき」だと安田さんは考えたからです。

 

年月がたち、安田青年も、青年ではなくなった現在。
事業は成功し、今では、安田さんは後任に会社をゆずっています。

 

安田てるひささんは、若いときに味わった貧困の経験から、
「悲惨なことを解決するにはただしい政治の力が必要」との思いを持っておられるようです。
現在、若いときに会社を立ち上げたときのように、「次の世代のため、残りの人生をかけてみたい」と、精力的に政治活動を開始されました。

 

「だらだら何期も議員をするつもりはなく、経済界の経験を活かし1期で大田区を変えます。」
と安田てるひささんは、にゃんくに話されました。にゃんくは、ただただビックリしました。すごい。でも、有言実行も、これだけの実績のある人だから、夢物語ではおわらない、終わらせてはならないと思います。

 

「私は、(議員の)当選が目的でなく所得格差をなくし、子ども達に明るい未来を残すことを願ってます。」
安田てるひささんが、非公開の場で、にゃんくに伝えられた言葉です。

 

すばらしい理念をお持ちの方です。現職の議員で、これだけの夢と希望を語れる人は、ほとんどいないのではないでしょうか?

 

希望に満ちあふれた人生にするために、安田さんのような、ただしい政治のちからは必要です。
けれど、まだまだ安田てるひささん一人の力では、実現できないことがたくさんあります。
この記事を読んで、共感や興味をおぼえた方は、ぜひ安田さんを応援してみてはいかがでしょう?

 

ボランティアメンバーなども募集されているようです。
まずは、安田てるひささんのサイトをご覧ください。

 

▽安田てるひさ公式WEBサイト

https://yasuda-teruhisa.jp/

4コマ漫画/鈴音レイ
writer/にゃんく

 

 

安田てるひさ公式WEBサイト「安田てるひさ物語」を参考に記事作成いたしました。

 

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