網走2日め
7/12
さて、網走といえば、網走監獄。
日本で最大にして最古だって知ってました?
そんなの旅行雑誌にも書いてない! 聞いてないですよ~
なんと東京ドーム3、5個分! それくらいひろ~いのです。
それから網走監獄の由来。これもまたすごいですよ。歴史を感じさせます。
というのは、時を遡ること、明治維新のすこしあと。ロシアの南下に対し、北海道は重要な防衛拠点だったわけです。しかし、だだっ広い原野があるばかりで何もない未開の土地だったので、時の政府が国家予算の1/4だか、それ以上の金を北海道の開発のために投下するわけです。
で、何をしたか。とりあえず道路を造ろう、と。それも東西に長い道路を造って、ロシアの南下に備えようとするわけです。それに駆り出されたのが囚人たち。北海道の厳しい環境のなかで、連れて行かれた囚人たちは、二百人以上がこの突貫工事のために亡くなったそうです。今かんがえたら、人権蹂躙も甚だしい無茶苦茶な話ですよね。囚人をつかえば労働力が安くすむ、たとえ死んだとしても、監獄費が浮くと。まったく無茶苦茶な話です。シベリア抑留でたくさんの日本人が亡くなり、それはたしかに悲惨で許しがたい行いなのでありますが、それと同じようなことは、日本人が日本人にたいして行っていたわけです。囚徒といっても、戦争に反対しただけで収容されている政治犯のような人もいたわけで。犯罪者といっても、今から考えればまったく悪くないような人もなかにはいたわけです。まあ、強盗犯人とかも、もちろんいたわけですが。
Mさんが何故かレンタサイクルをして観光することを主張。いっぱい歩かないといけないから疲れるよ、と諭しても、聞く耳を持ってくれません。
仕方なく、網走監獄まで自転車でいくことに。
それが、けっこうな寒さだったんです。風が冷たくて。それでも、えっちらおっちら自転車漕ぎましたよ。
着いたら、無料ガイドがはじまったところだったので、その集団についていくことに。
おもしろい話、いくつか聞けましたよ。脱獄王の話だとか。扉の鉄枠を、みそ汁をかけ続けて執念の脱獄をしたとか、天窓を頭突きで破壊し、怪我しながら脱走しただとか。
五寸釘が足に刺さったまま、十二キロも走って逃げた脱獄囚だとか。日本の若者はひ弱化したように言われがちですが、むかしの日本人はまだまだワイルドだったんですね、今の中国人並みに。
↓網走監獄
執筆者紹介
にゃんく
にゃんころがりmagazine編集長。
X JAPANのファン。カレーも大好き。
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