ショート小説「物の価値」

物の価値は分らない。千円が二万円より大事な時もある。

小説を書くのが私の唯一の趣味だった。友達や家族に読ませて喜んでいる程度のささやかなものだったが、ふとした出来心で短い作品を雑誌に送ったところ、どうした事か掲載されてしまった。当然とても嬉しかった。そして、それ以上に嬉しかったのは、時々小説を読んでもらっていた友達が思った以上に喜んでくれた事だ。そして
「作家デビューのお祝いだから」
と千円分の図書カードをプレゼントしてくれた。雑誌の賞金は二万円。しかし、千円の図書カードの方が私にとっては数倍嬉しく、価値がある大切なものだ。

物の価値は分らない。煙のように突然消えてしまう事もある。

「お客様、申し訳ございません。こちらのカード、使用出来ないのですが」
書店の店員が、眉間にしわを寄せながら私に言った。
せっかく貰った図書カード。使わなければ
申し訳ない気がして、早速書店で本を買う事にした。しかし、差し出したカードは何度機械を通しても反応してくれなかった。
「磁気異常で読み取り出来ないようで・・・」
取り敢えず本は現金を出して買った。
“何てことだ。こんな事があるだなんて・・・”
と、呆然とする私に、店員が一枚の封筒を差し出した。
「使えないカードは、この封筒に入れて送ってください。ちゃんとしたものと交換してもらえますよ」
封筒には『日本図書普及(株)図書カードエラー係 行』と宛先が掛かれていた。
よりによって、大切な贈り物の価値が、友からの善意が、ゼロになってしまった・・・

そして今、私の目の前には百万の札束がポンと置かれている。
「いやー何回聞いても面白い話だ。つまりは、その贈り物の図書カードが先生の原点と言う訳ですな!」
テーブルの向こう側でソファーに座っておっさんがガハカハ下品に笑っている。この人は私のファン、と言うかマニアだ。こう見えて年商数億という大きな会社を一代で築いた凄腕社長だ。
「先生の作品と人柄に心底惚れ込んでいる私としては、何としてもそのカードを譲って頂きたいと思っとる訳です。ほら、この通り充分なお金も用意しました」
「いや社長、申し訳ありません。こればっかりは誰に何と頼まれようとお譲りするわけにはいかないんです」
「そこを何とか・・・」
「いや、勘弁してください。本当に・・・」
大の大人が、使えない図書カードを譲る譲らないで真面目な顔をして押し問答を続けているーー何ともおかしな光景だ。
あれから三十年の時が流れていた。
あの後暫くして、私は職場をクビになった。再就職を勧める家族の意見を無視し、私は黙って家を出た。ホームレスのような生活をしながら日本各地を放浪し、小説を書く事に没頭した。その甲斐あって、十年目に雑誌の新人賞に入選する事が出来た。それからも全身全霊を込めて書き続け、いまや日本のみならず海外でも高く評価されるようになり、世界各地に数多くのファンがいる有名小説家の一人となる事が出来た。スティーブン=キングに匹敵する、いや、もう既に超えたと言う人さえいる。
全てはカードが使えないと知ったあの日、右手に図書カード、左手にもらった封筒を持って考えた事から始まった。
「カードは新しいものと交換してくれる。しかし、もうそれは大切な贈り物ではなく、只の図書カードだ。そんなの何の意味もないじゃないか!――これはきっと、大切な贈り物を手放すなって事だよな」
そして考えた。
「どうしたら、カードを取り換える事無く価値を上げる事が出来るだろう?」
そして気が付いた。
「自分が有名人になれば“あの人が持っていた持っていた図書カード“って事で価値が出るじゃないか!」
その直後に仕事をクビになり、一か八か、思い付きを実行に移す決心がついた。

時々思う。本当に物の価値は分らない。
何も買えない不良品が、まともな図書カードの千倍以上金を積まれても手放せないプライスレスな価値を持つ事もあるのだから。

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