落選作の再応募について

小説の新人賞で落選した作品を改稿して他の賞に再応募したら不利と言われてたりするけど、僕が某出版社の編集さんに直接聞いた話では、不利というよりゼロらしい。可能性ゼロ。つまり「そういうのは落とす」とのこと。

「他社のことはわかりませんけど」と言ってたけども……

 

とりあえず編集さんとそれについて話してから、その賞の応募要項には「他の新人賞に応募された原稿の再投稿・改稿応募は規定外」といった一文がちゃんと入るようになったから、それは僕の功績だと勝手に思っている。

 

落選作の再応募について」への5件のフィードバック

  1. 出版社としても、他社で選考で落とされた作品を拾って、大々的に売り出していく余力はないのでしょうね。
    出版界の部数は年々先細りしてますし。

    それに対して、インターネットの媒体は未来がありますよ。
    やれることがたくさんあると思います。
    例えばYouTubeを使って、漫才(コント)を公開するとか。
    山城様の漫才見てみたいと少し思っただけなので、実現するかどうかはともかくとして・・・

    ぼくはまたキーボードで次の曲を練習しています。

  2. 補足すると、日本人の気質として、男性は50歳くらいをすぎないと一人前として見ない、みたいなところがあったり、外国からの文化や品物はよく買うけれど、国産のもので新しいものとなると、なかなか手を出さないところがあったりします。
    ピースの又吉さんは、芸人として成功していたので、ああいう形で文学界でも評価されましたが、もし又吉さんが、本気で小説家になりたいと考えて、漫才師にならなかったとしたら、今頃、貧乏でモテない、文学青年のままだったかもしれません。
    山城様は、すこし風向きが違えば、プロデビューしていた方だと思います。
    本屋さんで、又吉さんの本の隣に、山城様の本が置いてあったとしたら、ぼくは山城様の本も喜んで買うと思います。
    言い方を変えれば、山城様をデビューさせなかったのは、日本文学にとって損失であった、と言ってもいいかもしれない。

    だけど、歴史の必然で、才能のある方は、いずれデビューする運命にあります。
    ただ、死後評価される、ということであれば、それは遅すぎます。

    そういうわけなので、違うアプローチとして、たとえば、youチューブの動画がある。
    そっちからの道で、花が開くかもしれない。

    そういうふうな考え方もあるかな、と思い、コメントしてみました。
    いつもながら、自分の意見ばっかり書いた、脈絡のないコメントで、すみませんでした。
    お聞きながしいただければ幸いです。

  3. いやいや、熱いコメントありがとうございます。
    漫才もいずれ機会があればやってみたいな、ぐらいの気持ちで今まで生きてきて、機会がないまま終わるかなって感じですね。
    でもやるとしたらブラマヨの形が最強かな、とか考えたりはしてますね。互いが互いにツッコむ感じで、結果的にツッコミが連続する形。アンジャッシュのコントもそうだったりしますかね。ちなみに僕も小説でこの形は使ってます。『手ぶら』の出だしとか、『寝ぐせのラビリンス』の出だしとか。この辺に黄金律みたいなものがある気がしてます。角田光代さんも『手ぶら』について「出だしが異様におもしろい」と言ってました。

    1. 一線で活躍するプロの作家さんからもらった言葉は、宝ものですよね。
      ボケが連続する形では、笑い飯という感じでしょうか。
      でも笑い飯は最近見ませんね。
      バンビーノはうちの家庭では人気です。
      音系のコントって言われてるみたいですけど。
      彼らも最近あまり見なくなりました。
      お笑いもネタを作るのが大変そう。
      書くのが大変な小説と一緒ですね。
      小説は一生懸命書いても読んでもらえないけど、音楽はそれほどうまくなくても聞いてもらえるので、音楽の道に進めばよかったかなと最近思ってます。
      まあ、今からでも遅すぎるということはないんでしょうけど

にゃんく へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です