『ためらいの昼ドラ体重計』山城窓

 

ためらいの昼ドラ体重計

 

 

山城窓

 

「また2キロ増えてる……」と玲奈は嘆く。が、その嘆きを一瞬で超える悲劇に自分がすでに飲み込まれてることに気付いて取り乱す。「えっ、これなに? 足が……離れない! くっついてる!」
その体重計には予め接着剤が塗ってあったようで、玲奈がもがいてもあがいても足の裏はそこから動かない。右足に力を入れても左足をそうしても、どちらの足もそこから一歩も離れない。無理やりに力を込めるとバランスを崩して倒れそうになるし、そうならないように慎重に片足を真上に上げようとしても、足の裏の皮が引っ張られるばかりで、はがれそうな気配はない。
「あら?」従姉妹であり同居人の沙織がノックもせずに、ドアを開けて脱衣所に入ってくる。そしてにんまりと続ける。「あなたその体重計に乗っちゃったのね?」
「乗っちゃったって」玲奈は沙織の方を見やっていう。「まさかあなたがやったの?」
沙織はフフっとほくそえみ、喜びを抑えきれぬように告げる。
「これであなたは一生体重計と一緒よ。でもいいんじゃない? 『障害は不便ではあるけれど不幸ではない』って五体不満足の人が言ってたし。ああ、でもあなたは五体不満足で満足しちゃ駄目よ。あなたも『肢体体重計』って本を出したら売れるんじゃなくて? え? 何のことかわからない? いいのよ、世間なんてわけもわからずになんでもありがたがるんだから。一度世間で評判になれば、自分の感覚で確かめずに、みさかいなく飛びついて簡単に踊らされる……」
「何の話をしてるのよ?」
「質問しないで! 体重計は人間に質問するものじゃないわ。私はもうあなたを『体重計についている何か』だと思ってるんだから。強いて言えばシャツと一体化したカエルのようなもの。なんならあなたも『根性、根性、ど根性』って鳴いてみる? 『どっこい生きてる体重計の上~』ってね。アハハッ」
「何がおかしいのよ、そりゃ生きてるわよ!」
「どうかしら? そのまま生き続けられると思う? そこから動けないままでどうやって生きていくのかしら?」
それを聞いて玲奈はギョッとする。この人はあたしをこのまま助けないつもりだ。たしかにこの体重計から降りられないままでは食事も排泄もできやしない。もしもこのまま日が過ぎたら、衰弱してやせ衰えていくばかり。そしてその衰え具合は体重計が数値化してリアルタイムで知らせてくれる……
「どうしてこんなひどいことをするの? 私があなたに何かした?」玲奈は涙ぐみながら尋ねる。
「だから質問しないでってば。あなたは体重計なんだから」
苛立ちと恐怖で混乱しながらも昂ぶった玲奈はキッと沙織を睨みつけていう。
「なんなら私はこの足を切り落としてでも私の人生を生きるわ!」
「生意気言うじゃない。体重計ごときが。でもあなた自分の足を切れるかしら? 試してみる? きっといいためらい傷ができるわね。 でも今更ためらい傷ができたって、どっちみち健治さんと結婚はできないでしょうよ」
玲奈は首を傾げながら尋ねる。
「結婚とためらい傷に何の関係があるのよ?」
「まあ、『関係』ですって? いやらしい。あなたはそうやって健治もたらしこんだのね。いやらしいメスブタだわ! あっ、ごめんなさい。間違えちゃった。今のあなたはメス体重計ね?」
言って沙織は卑しく笑う。玲奈はわけはわからないがただただ悔しくて言い返す。
「もういや。私は私として生きて、そして健治さんと結婚する。誰にも邪魔はさせない!」
「馬鹿なことを言うわね、あなたは。健治はオス体重計じゃないのよ? 人間と体重計は一緒には暮らせないの。人間が体重計と結婚するなんて言い出したらただの変質者じゃない。健治は人間の世界で生きていくし、あなたは体重計達と一緒に体重計の森で暮らすのよ。そして体重計と恋に落ちる。きっとあなたのことだから男前の気立ての優しい体重計と結婚するのよ。やがて体重計の子供を身ごもり、あなたに似た可愛らしい体重計を産むんだわ」
「もうやめて! 聞きたくない!」そういって玲奈は自らの耳を両手でふさぐ。両膝を折ってうずくまる玲奈に、追い討ちを掛けるように沙織が続ける。
「それはそれで悪くないんじゃない? 仮にあなたが人間だとして、それで健治と結婚したとして、あなたたちは本当に幸せになれるかしら?」
「どういう意味?」玲奈は沙織を見上げながら訊く。
「健治が愛しているのはあなたじゃない。私よ」
「何言ってるの? そんなわけないじゃない? 私と健治さんは婚約してるのよ?」
「健治は私を認めてくれた。こんな私を抱いてくれた。私のためらい傷を見ても優しい言葉をかけてくれた。私は最初もちろんこの傷を隠していたわ。恥ずかしいし情けないし……でもあるとき彼は私の傷に気付いた。そしてこう言ったの。『苦しんできたんだね。恥ずかしがることはないよ。その傷は君の苦労を物語ってる。そして君はその苦労を乗り越えて今ここで生きてる。それでいいじゃないか? 苦しみや痛みを乗り越えてきた人は魅力的だし、言わばその傷は君がつまらない人間ではないっていう証しさ』って」
「…………」
「あの人は私を大事にしてくれている。そして私に魅力があるって言ってくれた。あなたじゃなく私に。ためらい傷の一つもないあなたに健治が惹かれるわけないじゃない!」
「健治は……優しいから」
「何それ? 健治は私に同情しただけだって言いたいわけ? 冗談じゃないわ!」
「わかった。あなたの健治への想いは本物みたい。でも私だってこのままおめおめと体重計の森へ引きこもる気はないわ!」
「諦めて森に帰りなさい。ここはあなたの住む場所じゃないのよ。あら? あなた泣いてるの? 汚い顔しちゃって。あっ、いけない、体重計に顔なんかないわよね」
「それ以上言わないほうが身のためよ」何かに気付いたように玲奈はそう告げる。
「急に何をいうの?」沙織が不思議そうに玲奈の顔をうかがう。
「私を侮辱するのは構わない。でもあなたはすべての体重計の怒りを買ってしまった。聞こえない? 怒りで我を忘れた体重計たちがこっちに向かってる。無数の体重計は街も人もすべて食い破るわ!」
「そんな脅しが私に効くと思ってるの?」
「それだけじゃ終わらないわ。やがて力を使い果たした体重計はそのまま死ぬ。死骸はやがてこの土地を汚し、そうやってここも腐海となる。あなた一人のためにこの街は死ぬのよ! さあ、はやく! 私を解放しなさい!」
「いつからそんな偉そうな口が聞けるようになったのかしら。体重計の分際で」
「時間がないの! いいわ、ナイフを貸して! 自分で足を切り落とすから」
「いいわよ、はい、これを貸してあげる」そういって沙織は用意していたのか、ナイフをすぐに玲奈に手渡す。「でも、あなたにできるかしら? どんなためらい傷ができるか楽しみだわ。せいぜい健治の同情を引くことね」
「私にためらい傷ができたら、あなたは納得できるってことなの?」
「さあ、どうかしらねえ。そうなってみないとわからないわね」
「もういいわ」玲奈は覚悟を決めたように沙織から目を切る。「私はもう夢見る少女じゃいられない! 体重計でもいられない!」自らを鼓舞するように玲奈はそういいながら、ナイフを両手で握り締め、自分の足を狙う。沙織はそれを見つめながら余裕の表情を崩さない……

玲奈は結局自分の足に刃を当てることはできなかった。できなかったが肌のターンオーバーによって角質が剥がれ落ちたようで、その足は5日後に体重計から離れた。玲奈は衰弱はしたが、一命は取り留めた。体重計の群れも現れなかった。
玲奈は想った。人は何かに過剰に怯え、無駄に騒ぎ立てて、負わなくていい傷を負いながら暮らしているのだと。そう、自らに刃を向けずとも、いずれ時が解決してくれる。自分がその一部分だけでも新しく生まれ変わることで状況は変わりもするし、結果として苦しみや絶望から逃れていくことだってできるのだ。
体重計から無事に降りた玲奈を見ても沙織は表情を変えなかった。ただ静かにこういった。
「ああ、体重計から降りたのね」
「ええ」やつれた表情で玲奈はそう返した。
「もういいわ、あなたの好きにすればいい」
「わかってくれたの? 認めてくれたの?」
「ううん、そういうわけじゃない」ゆっくりと沙織は首を振った。
「じゃあ……どういうこと?」玲奈は沙織の顔をじっと見つめた。
「もういいのよ」
「どうして?」
「馬鹿馬鹿しいから」
「……そうね」玲奈も完全に同感だった。

(了)

 

 

 

 

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