『捕縛されるまで』(文:にゃんく、絵:AyamiAmyIchino)

捕縛されるまで

 

 

 

(文:にゃんく、絵:AyamiAmyIchino)

 

 

「旅に出るよ」
そういう僕に、厳格な父と母は、もちろん猛反対した。
「コウキ、どうして此処にいては駄目なの?」母は懇願するように言った。「此処には食べ物もいくらだってあるし、第一、安全だわ」
そんなことは僕にもわかっていた。僕はあえて危険を冒すことを選んだのだから。赫かしい果実を手に入れるためには、ときには人生でおおきな別れみちをえらぶことが必要なときだってあるはずだ。
「お前は<死に神>の怖ろしさがわかっていない」
と父は言った。
そう言われると反論はできない。何しろ僕はまだ死に神を見たことすらないのだ。
「お前の行為は一族を危険にさらす。お前がのこのこ逃げ帰って来ることで、この住まいも死に神の知るところとなる。やつらが我々のことを生かしておかないことは承知のとおりだ。どうしても家を出ると言うのなら、お前は勘当だ。二度と此処へは戻って来てはならない。そのくらいの覚悟はできているのだろうな?」
父は目をほそめて僕を睨んだ。僕はいつもの癖で身をちぢこまらせてしまう。父と母は僕のこころに枷をつけ、僕をこの場所に縛りつけようとしている。僕はほんらい自由であるはずなのに。僕は胸をはり、強いまなざしで父を睨みかえす。父がすこし怯んだような顔をする。
「お兄ちゃん、行かないで」
未来の花嫁となる筈だった妹が言った。この村では兄と妹が夫婦になることは珍しいことではない。現に父と母も、元をただせばいとこ同士だった。
瞳を潤ませた妹が、僕の頬に口づけしようとした。
僕はそれを振りほどいた。
打ちのめされたように、いつまでも僕を見おくる妹の姿があった。
僕と故郷とのお別れは、そんなふうに塩っぱいものにおわった。

 

今は亡き僕のおじいさんの話。
宇宙から飛来したエイリアンであるのか、とつぜん変異で派生した生命体であるのか、今となってはやつらの氏素性は皆目わからないけれど、とにかく地球上にとつじょ現れた凶暴極まりない死に神のせいで、僕らの民族の苦難の歴史がはじまった。
死に神のために僕たちはすべてを奪われた。住む場所も、仕事も、家族も。光ですら。
死に神に殺された仲間は数しれなかった。
僕たちもただ手をこまねいていたわけではない。いくたびもレジスタンス組織が結成された。けれど、そのたびに組織は壊滅の憂き目に遭った。まるで見せしめのように、仲間はひとりのこらず残虐きわまりない殺され方をした。僕たちの命がけのこうげきも、すべてが徒労に帰した。誰の目にも死に神は不死身でその力は絶大に見えた。
地球上から僕たちをひとり残らず抹殺すること。それが死に神の統一された方針らしかった。
僕たちは散り散りになり、辺境に押しやられ、息をひそめて暮らすようになった。つらい時代だった。なかにはどうせ勝ち目はないさとあきらめる者さえではじめた。家族をころされ、苦しがるすがたを周囲に見せつけるようにすこしずつ嬲り殺されるのを見れば、誰だって嫌になるだろう。けれど、皆が皆あきらめたわけではなかった。
「この戦いは、いずれわしらが勝つ」とおじいさんも言った。「死に神の横暴を神様が許すはずがない。いずれ天罰はやつらの頭上にくだるじゃろう。それまで耐え忍ばなくてはならない。わかったな、コウキ」

僕が辿り着いたのは、死に神の巨大な要塞だった。
噂には聞いていたけれど、そのグロテスクなほどの巨大さ、この世のものとは思えない悪臭、ほとんど見る者に吐き気を催させるほどの、無意味で無駄のかたまりのような外観には、腹を抱えて笑い出さずにはいられないほどだった。
僕は物見遊山きぶんで、ぷらぷらと要塞の周囲をめぐっていたのであるが、そのような僕の姿を見咎めて、誰かが声をかけてきた。
「こんなところで、何をしているんだ? 死に神に見つかったらひとたまりもないぞ」
僕はそいつに、自分が今日村を出てきたばかりであることを告げた。
「悪いことは言わない」とそいつは僕に言った。「ここは死に神を討伐するレジスタンス組織のアジトしかない。命を落とすまえに、ぼうやは帰った方がいい」
ぼうやという言葉に、むくむくと成長した僕の自我が敏感に反応した。
「自分もそのレジスタンス運動に身を投じたいのです。仲間に入れてください」
と僕はほとんど反射的に口走っていた。
怖い物見たさの興味心もあり、他に行く当てのないさすらいの身分がそんな台詞を口走らせたのかもしれない。そいつは僕の言葉を耳にすると、しばらく僕の姿を上から下まで繰りかえし点検していたけれど、やがて厳しさを内に秘めた声で、「ついて来なさい」とのたまった。
糞便の臭いが充満する戸の脇をぬけ、そいつと僕は身をかがめ、要塞の通路を這って行った。
「俺のことはサスケと呼んでくれ」
とそいつは僕を振りかえりながら言った。
「……サスケ」
と僕は口に出して言ってみた。
「君は?」
とサスケが訊ねた。僕は息をしずかに吸ったあと、
「……コウキ」
と言って自分の名を彼にあかした。
サスケと僕は通路を右に曲がったり左に曲がったりして、最終的に、ある物置部屋のような薄暗い場所に辿り着いた。
そこでは何人かが車座になって会議をしている最中だった。年長者もいるし、若いのもいるし、僅かながら女性もいた。しばらくすると、僕は簡単な自己紹介をするよう申し向けられた。僕は周囲をぐるっと見まわしながら、
「今日村を出て来たばかりです。名前はコウキと言います……」
と言った。すると、
「仲間はひとりでも多い方がいい」
といちばん上座を占めている、褐色の逞しい軀つきをした男性が言った。
彼がこのレジスタンス組織の隊長だよ、とサスケが耳うちしてくれた。
「だが、死に神と戦うには、団結が重要だ。自分勝手な行動は此処では厳禁だ。コウキ君。あなたにそれが守れるかね?」
隊長が僕に尋ねた。僕は、「守れます」と力強くそれに答えた。
隊長は、率先して拍手をしながら、皆にも拍手をうながしつつ、僕の仲間入りを祝福してくれた。
ときどき物置部屋の戸のむこうから、「ヒヒヒヒ」という死に神特有の薄気味悪い笑い声と、大鎌でも研ぐようなシャッシャッシャという不吉な音が響いてきて、隊長が皆に「シッ」と警告して静かにさせ、死に神の声が通り過ぎるのをやり過ごした。僕ははじめて死に神の存在を間近に感じて、ひどく緊張し昂奮した。
「死に神にも弱点はある」と隊長は言った。「やつらは闇を恐れている。だから我々は、今は力を温存することだ。外が闇におおわれ、やつらが尻尾をまいて震えているとき、我々は行動を開始する。総攻撃は、明日の夜0時だ。やつらに奇襲攻撃を仕かける」
会議は解散となった。
皆、それぞれ思い思いの行動に移っている。僕は何をしたらいいのかわからず、ただ意味もなくウロウロし、壁に頭をぶつけたりした。
「見かけない方ね。どちらからいらっしゃったの?」
僕に話しかけてくるおんながいた。異国の出自を思わせる、美しい彫りの深い顔だちで、うっすら微笑んでいる。何時間でも見つめていたいほどの可憐さだった。
「北にある、朽ち果てた村からです」と僕は言った。「あなたは……?」
「わたしの名は、レン」
召し上がる? とレンは僕に良い香りのするパンを差し出した。パンなんて食べるのは何年振りだろう? もちろん、丸々ひとつではない。幾つかに切断された一部分だったが。僕はありがたくそれを頂くことにした。
「あなたはどうしてこの運動に身を投じる決心をしたの?」
レンにそう尋ねられ、さすがに正直に、まだ一度も死に神を見たことがないです、という言葉は口にできなかった。
「死に神は僕たちの敵です」と僕は裏返った声で言った。「死に神と僕たちは、共存共栄はありえない仲だと思います。このような組織に加入するのは、当然の義務だと考えます」
回らぬ舌でそのように答える僕の様子に、レンはおどろいたような顔つきをしたあと、目尻をさげて微笑んだ。
誰かがレンを呼んだ。
レンは、「ごめん、じゃあまたね」と言って、手をふって僕から離れて行った。
僕の脳裏には、レンの微笑みの残像がくっきりと焼きついていた。

僕はその日、はじめて見張りについた。見張りというのは、交代で死に神の攻撃に備え目を光らせ警戒をする役目のことである。
ぼくは二時間の見張り任務のあいだ、戸のむこうから死に神が攻めよせて来ないかどうか全神経を尖らせていた。
むかしおじいさんから聞いた、死に神による残酷な殺しのやり口について僕は思いをめぐらせていた。軀をぐしゃぐしゃに踏み潰されたり、猛毒の液体のなかにしずめられたり。飢えた僕たちを食糧をエサにおびきだし生け捕りにし、体力を消耗しすこしずつ死んでいくすがたを鑑賞したり……。死に神がやって来るかもしれない謂わば最前線の立場の見張りに就いていると、否が応でも僕は自分がそのようなやり方で殺されていくシーンのひとつひとつについて想像せずにはいられなかった。
そして僕のあとにその任務につく交代の者に肩を叩かれたとき、僕はそのような悪夢から目を醒まし、永遠にも感じられる、いつ終わるともしれない二時間というながい時間がようやく過ぎ去ったことを知ったのだ。ほっとすると同時に、危険な任務をやりおえたそのときの晴れやかな達成感は、ことばに言いあらわすことができないほど爽やかなものだった。
こんどは僕自身の軀を休めるため、すこしは眠らなくてはならなかったけれど、皆が軀を横たえている寝床のいりぐちにさしかかると、僕はくるりと踵をかえし、見張りの者がいるところまでひきかえし、その周辺をうろつき、見張りの者に睨まれては、寝床に向かい、また見張りのほうまで引き返してくるという意味のないことを繰り返していた。要するに僕はなんだか目が冴えて眠れそうになかったのだ。
そんなところへ、ばったりレンと顔をあわせた。
「こんな時間に何をしてるの?」
とレンは驚いたように尋ねた。
「何だか、眠れないんです」
と僕がしどろもどろに答えると、
「こちらで一緒に話しません?」
とレンが言うので、僕たちは月のあかりも星屑のひかりも差し込まない、殺風景な淀んだ灰色の壁に囲まれた場所で、肩を並べて坐った。僕たちは、しばらく無言だった。此処にこうして坐っていると、自分が非現実の世界にいるかのような不思議な気持ちがした。
「……わたしは、この場所で生まれたの」
とレンは静かに話しはじめた。
「父も母も、レジスタンス組織の一員だったの。両親とも、死に神に殺されたわ。両親だけじゃないわ。兄も妹も殺された。死に神は、わたしたちを嘲笑いながら、ひとりずつゆっくりと、見せしめのように殺していったわ」
僕はおもわず眉根にちからをよせた。
「それは酷い」と僕は言った。「――許せないな」
彼女のこえが途絶えたので、さりげなく横顔を仰ぐと、意外にも彼女は閑かに声もなく、肩を震わせ泣いていた。僕は一瞬逃げだしたいような気持ちに襲われたけれど、それもいっときのことで、次の瞬間、僕は自分の動作ではないように勝手にからだが動きだし、ごく自然な動きで彼女の肩を抱き寄せていた。
「大丈夫だよ」と僕は彼女に囁いた。「――かならず僕がかたきを取ってみせるから」
彼女の悲しい涙を僕は自分の身に起こった出来事のように感じ、義憤にかられていた。
「ありがとう」
レンは涙に濡れながらも、無理に笑顔を作ろうとしている様子だった。
「もう寝た方がいいわ。今夜の行動に備えて」
レンは気丈にそう言うと、僕にキスをした。涙の跡をのこした彼女は、寝床の方向に消えるまえ、いちど振り返り、僕に手をふった。そのうしろ姿を、僕は手を振りかえすこともせず、ただ呆然とうつくしい幻のように見つめていた。妹以外の他人とのはじめてのキスは、甘酸っぱさの余韻をいつまでもあとに残した。

アジトが死に神の奇襲をうけたのは、それから一時間も経たない頃だった。
あまりにも不意打ちすぎた。
隊長をはじめ、組織の者たちは、攻撃のことばかり考えて、自分たちの身を守ることをなおざりにしていたと言わざるをえない。
死に神に先手を衝かれたのだ。
彼方此方に、隊員たちの遺骸が転がっていた。ある者は軀を真っ二つにされ、ある者はぐちゃぐちゃに潰され軀のなかのものが無惨に飛びちっていた。ぼくは同志のそのような凄惨な姿に釘づけとなり、よろめいた。
生存者の人員すら把握できない状態のまま、僕は死者を掻きわけ、レンの姿を捜しもとめていた。
「レ―ン!」
この亡骸もレンではない。この遺骸も。ほっとすると同時に、妙な胸騒ぎが込みあげてくる。
そのとき上方から声が降ってきた。僕は死に神がまだ此処にいるのかと思い身を固くした。
「おれは柱によじ登ったおかげで、かろうじて助かった」
見あげると、声の主はサスケだった。さすがだと思った。抜群の身体能力に僕は感心した。長くレジスタンスで活動しているだけのことはある。わずかな希望が湧いてきた。ふかく息をすいこみ、レンを見かけなかったかと僕はありったけの声で柱の上方にしがみついているサスケに訊ねた。サスケは首をふった。
「レンは連れて行かれた!」とサスケは叫んだ。「死に神のアジトに」
レンが連れ去られるところを、サスケが目撃していたのだ。事態は最悪の方向へとすすんでいるようだった。
「アジトはどっちだ?」
と僕は震える声でサスケに尋ねた。サスケはゆっくりと左手を伸ばし、その方向を指し示した。
「まさか、お前、レンを取りもどそうなんて考えているんじゃないだろうな?!」
とサスケの声がきびしいスコールのように突きささってきた。「我々の組織はもう終わりなんだ。隊長も殺された今となっては再起不可能だ。とりあえず今はこの要塞から脱出し身を潜めるんだ。そして力を蓄えることだ。我々が生き残る方法は、それしか残されていない」
「レンが殺されるのを、黙って見ちゃいられないよ!」
僕はそれだけ言うと、「待て、早まるな」とサスケが呼び止めようとするのもかまわず、無我夢中で駆けだしていた。レンを殺させてはいけない。僕の頭の中にはそのことだけしかなかった。
迷路のような通路を突きすすんだ。埃だらけになった軀をはらう暇もなかった。
丘のように現れた小部屋の屋根を攀じのぼった。身をかがめ、不安定に揺れる足場を慎重にすすむ。
死に神の囁きがごく間ぢかで聞こえるようになった。僕が足取りをゆるめた矢さきだった。下方に軀ひとつ通れるほどの小窓がひらいている。その暗闇のしたに、きらりと光るものが見えた。我が目をうたがった。
「レン!」
僕の呼びかけに気づき、彼女はすこし蠢いた。まだ生きている! 彼女は狭い小部屋の中で囚われの身となっていた。
「来ちゃ、駄目!」彼女は涙声で訴えた。「逃げて! あなたまで捕まってしまうわ!」
僕は、彼女に手を差し伸べていた。この手に摑まれ。摑まるんだ!
けれど、彼女は生きる希望を失ったかのように、這いつくばったままなのだ。手を伸ばしさえすれば、僕がそこから引き上げてあげられるのに。どうしてその手を伸ばさないのか。
とつぜん強い光線の照射を軀ぜんたいに感じた。まずい。死に神に見つかったかもしれない。急がねばならない。
「君も逃げるんだ!」僕は叫んだ。「さあ、早くこの手を摑んで!」
しかし彼女は触角を震わせているだけだった。僕は窓のなかから軀を滑らせ、彼女と同じ地平に降りたった。
その時になり、ようやく異変に気づいた。囚われていたのは、レンだけではなかった。しかも僕の肢は地面に張りついて、それ以上一歩も身動きできなくなっていた。
急に狭い小部屋が空中に持ちあがり、世界がぷらんぷらんと揺すぶられた。死に神の血ばしった巨大なめだまが、窓からこちらのなかを覗いている。「このゴキブリ、凄くおっきいわよ、お父さん」
「気持ち悪いから、早くゴミ箱に棄ててしまいなさい」
兇暴きわまりない死に神のこえがごく直近で聞こえる。
滅多に使わない茶色の羽を開いて飛ぼうとしたが、時すでに遅かったようだ。
頭と脚が逆さまになり、落下した。

ときどき何かが投げこまれる音がし、どんどん空間が窮屈になってゆく。死に神たちは何を投げこんでくるのかわからないが、暗闇のなかは、とてつもなく、臭かった。
僕は触覚を動かし、ときどきレンの黒びかりする膚に触れてみた。レンの軀はてらてらと湿り気を帯びていた。
「レン」
僕の呼びかけにも、レンはしまいに反応を示さなくなった。そのことが、僕を無性に哀しい気持ちにさせた。

果てしのない暗闇だ。
僕は壁を這いまわりたくてウズウズしはじめている。それなのに、ギザギザの足が粘着性のシートにへばりついて身動きがとれないのだ。

(了)

 

 

 

○執筆者紹介
今回『捕縛されるまで』の挿絵を担当していただいたのは、AyamiAmyIchinoさんです。
AyamiAmyIchinoさんは、英語と日本語両方で、詩と文章を書いたり、絵を描いたりされているアーティストです。
ココナラで、AyamiAmyIchinoさんに絵の注文をすることができます。↓

https://coconala.com/users/341312

 

AyamiAmyIchinoさんのFacebook (ayami ichino artist page)↓
www.facebook.com/abracadabrayamichininoichino

AyamiAmyIchinoさんの Instagram(Ayami Amy Ichino)↓
@ayamiamyichino

 

 

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