『やりたいことをやれ』(本田 宗一郎/著)

 

 

 
やりたいことをやれ [ 本田宗一郎 ]

 

writer/にゃんく

 

 

 本田宗一郎著『やりたいことをやれ』を読みました。
 本田宗一郎は、1906年、静岡県に生まれ、1946年、本田技術研究所を設立。世界のHONDAブランドの設立者です。

 

 本書を読むと、およそ「社長」というイメージからかけ離れたと言えそうな人情味のある性格が、行間からにじみでています。
 まず、設立が戦後まもない1946年ということからもわかるとおり、工場もないところに工場を建てるところからはじまっていて、工場のガラスも材料がなくて作れないから、自分たちで割れたガラスを集めてきて、熱して溶かして、工場のガラスをどうにか作った、などという話もでてきます。
 こういう時代に起業するというのは、今の、なんでもそろっているときに起業することと、大変さの次元が違っている気がします。

 

 ぼくが読んだのは、文庫版ですが、p56あたりには、こんな話もでてきます。
 昭和20年代の終わりのころ、新しい機械を買ったために、お金がなくなり、従業員の給料が払えなくなった。
 社長の本田は、謝ったけれども、労働組合が、それでも、
「出せ」
 という。しかし、ないのだから、出せないものは、出せない。
 そこで、本田は、従業員全員を集めて、会社の今までの経緯と、今後の見通しを話したそうです。
「今、いっさいお金がない、その代わり、私は皆さんの幸福のために、死をかけて働く」と土下座して謝ったら、皆、拍手してくれて、納得してくれたそうです。

 

 こういうエピソードも、なんだか時代が違うなーという感じがしました。
 今だったら、給料不払いなんていったら、訴訟になりそうですし、それだけで会社がつぶれそうです。
 戦後まもない頃だったから、みんなして逆境をのりこえよう、みたいな話にもなったような気がします。
 会社がつぶれては、元も子もありませんからね。
 給料が支払われないという事態になっても、「会社がつぶれるよりはいいか」という感じで、逆にみんなが一致団結するっていうのは、古き良き時代のお話になってしまいましたね。

 

 他に印象深い話もいくつか。
 著者の本田自身、常に需要はアイデアと生産手段によって作り出すものだと考えているそうです。以下、引用します。
「戦後、コーモリ傘の需要度は、異常な強さだった。たちまち誰も彼もその生産に乗り出し、またたく間に供給が行き渡り、生産過剰になってしまった。
 メーカーは倒産しはじめた。
 そこで、ある人が折りたたみ式の傘を考案した。
 需要がなくなったはずの傘は、再び飛ぶように売れた。
 アイデアが需要を作り出したという一例だが、これは人生に、仕事に、大いに考えさせられるものがある。」

 

 <アイデアが需要を作り出す>
 含蓄深い言葉だと思います。

 

 また著者は、初代のクルマ(バイク)メーカー社長としては、特異な存在です。
 というのは、本田 宗一郎は、根っからの技術屋で、営業とか管理の仕事は、もっぱら副社長他に任せっきりで、自分は好きな(バイクなどを)「作る仕事」に専念していたといいます。
 印鑑を押すだけの社長とは、まったく違う社長ですよね。

 

 本人としては、現場に出て、陣頭指揮をとっているという感覚はなくて、ただ、バイクいじり、バイク作りが好きだったからだといいます。

 

「社会に迷惑をかける企業は生き残れない。」
 著者はそう言います。
 社長の理念がすばらしいと思います。
 だからこそ、他社が不正をして、検査の時だけ通過するような車を作ることがあっても、ホンダだけは、初代社長の遺訓をいまだに守り続けていて、激しい競争にさらされながらも、世界的なブランドの地位を維持できているのかな、などと思いました。

 

 

 

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