『寝ぐせのラビリンス⑪』山城窓

 

 

寝ぐせのラビリンス⑩

 

 

 

山城窓

 

 

 

 

 三階を一通り回ったので、僕らはエスカレーターで二階に降りた。二階は服やら靴やら鞄やらが売られている。僕は引き続き咲子を探しながら、ユミカは商品を眺めながら通路をゆっくりと歩いた。ユミカは時々鼻歌を歌っているようだった。買い物気分になってしまったのかもしれない。
「ちゃんと話すこととか考えてる?」とユミカが思い出したように訊ねた。
「まあね」と僕は言ってみたが、改まって考えてみると咲子と何を話すべきかが自分でもわからなかった。今度会えたなら、あのスキューバダイビングの時のことをちゃんと話そう。そういうふうにこの三年間ずっと思っていた。が、いざその機会が近づいてみると「今さら」と思えてしまう。僕は今さらあの話を蒸し返すのか? しかし、他に話すべきことも見当たらない。そうだ、僕の心にずっと引っ掛かってたのはあの時のことなんだからそれを話すしかないじゃないか?
 そんなことを思いながら二階を一周した。二階でも咲子は見つからなかった。見落としたのかもしれないが、僕らはとりあえず一階へとエスカレーターを下った。人の多さに苛立ってきた。が、人が多いおかげで堂村たちにも見つかっていないのかもしれない。それとも彼らは諦めて帰ったのだろうか? まあ、この際どっちでもいいが。
 一階では食料品や薬や化粧品が売られている。化粧品売り場の前を一気に通り過ぎた僕をユミカは不思議そうに窺う。
「何? ここには咲子さんはいなさそうなの?」
「そうだね」
「どうしてそう思うの?」
「咲子はまるで化粧っけがなかったんだ」
「だからって今もそうとは限らないじゃない。って言うか化粧品売り場で働いているかどうかは別問題じゃない?」
「そうかもしれないけど…ここではない気がするな。咲子は化粧そのものを嫌ってたから」
「どういうこと?」
「化粧をするのが面倒臭いとかじゃなくて、化粧の不自然さが嫌いだとか言ってた。自然のまま、あるがままが好きなんだってさ」
「そういう主義だったってこと?」
「そう」
 そんな話をしているうちに一階も一回りしてしまった。結局咲子は見つからなかった。エレベーターの前で僕らは立ちすくんだ。
「また三階から探し直す?」ユミカが訊ねた。
「…それしかないかな」僕の声は疲れていた。
 エレベーターが来た瞬間に、ふと後ろを振り返ると堂村と榎戸の姿が見えた。向こうもこっちに気付いたようで「あっ」と声を発したようだった。
「早く!」とユミカが僕の手を取ってエレベーターに引っ張り込んだ。
「待て」という感じで堂村と榎戸が走ってきた。
 エレベーターに乗り込んだユミカは素早く「3F」のボタンを押し、「閉」のボタンを連打した。走りこんで来た堂村を、エレベーターのドアが間一髪のところでシャットアウトした。エレベーターに乗り損ねた他の買い物客の不愉快そうな顔もドアの向こうに消えた。エレベーターが静かに上昇を始めた。
「不味いわね」ユミカが言った。「あんまり悠長にはやってられないみたい」
「そうなのかな?」僕にはまだ彼らの行為の意味が掴めていなかった。ここで僕を捕まえてどうする気なんだろう?
 エレベーターが三階に着き、ドアがゆっくりと開いた。すぐに出ようとしたが、その向こうでは堂村と榎戸が息を切らせて待ち構えていた。ユミカが「くっ」と声を発して、「閉」のボタンを押したが、堂村は閉まろうとするドアを両手で抉じ開けた。
「生憎だったな」堂村が勝ち誇ったように言った。「我々は階段の昇り降りが大の得意なんだよ」
「それだけが取り柄なのよ、この人たちは」ユミカが言った。
「もう少し話を聞いてくれないか?」と堂村は僕に向かって言った。
「何の話ですか?」
「もちろん寝ぐせの里の話だよ」
「そんな話誰が聞くものですか!」とユミカが強く訴えた。
「おまえは黙ってろ!」と言って堂村はユミカの頬を平手で打った。「おまえは何か喋れ!」と堂村は榎戸の頬も打った。
「何をするんだ?」と思わず僕は声を荒げた。どちらかと言えば榎戸が不憫に思えた。彼は別に何もしていない。
「もう一度話そうじゃないか」と堂村が僕に言った。「寝ぐせの里は君を必要としているし、君も寝ぐせの里を必要としている筈だろ?」
 堂村は真剣な目で僕を見ている。どう応えればいいかわからず僕が黙っていると、ユミカは堂村の脇を素早くすり抜けて、エレベーターの外に出た。エレベーターには僕と堂村と榎戸だけが残った。
「女には用は無い」と堂村は余裕ありげに言った。
「今は寝ぐせの里に行く気はありません」と僕はどうにか言葉を搾り出した。「僕にはまだここですることがあるんで」
「そうか…」と堂村は言った。「ならせめて今ここで聞いてもらおうか。私の寝ぐせが付いた理由を」
「そうはさせないわ」とエレベーターの外でユミカが言った。彼女はエレベーターのドアが閉まらないようにボタンを押し続けているようだ。
 気まずそうな顔で堂村はエレベーターの外を伺った。買い物客たちが不思議そうにこっちを見ている。堂村は再び僕の方を見て何かを話そうとした。が、その声は急に小さくなり、僕には聞き取れなかった。困った顔の堂村を確認してから、ユミカは堂々と言い放った。
「この人たちは寝ぐせの付いていない人に見られてると、自分の話もちゃんとできないのよ。特に女性の前ではね」
「くそ」と堂村は言った。そして彼らはまごつきながらエレベーターを出た。「このままで済むと思うなよ」と堂村は言い放ったがその声は震えていた。確かに緊張しているようだ。
 そして堂村たちはそのまま立ち去ってしまった。どうやら危機は脱したようだ。しかしそもそも今のは危機だったのだろうか?
エレベーターの外でユミカが僕に微笑みかけた。「もう大丈夫よ」
 そう言われて僕もエレベーターから出た。僕はユミカに言ってみた。
「どうも彼らの性質が掴めないな。執着があるわりにはあれぐらいで簡単に引き下がるし…」
「要するに弱いのよ。弱いから寝ぐせに支配される」
「そういうものかな…」
「とりあえず少し休みましょうか?」ユミカが言った。「探し方も考え直した方がよさそうだし」

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