『アイドルの引退』山城窓

 

 

 

 

 

「おまえはアイドルとして、たくさんの女性の脳内彼氏の役割を果たし、彼女らに興奮、快楽ひいては幸福感を与えてきた。そんなおまえに今日は褒美をくれてやろう」
 部屋の冷蔵庫から現れた神々しく光る何者かは成瀬セイヤにそんなことを告げた。古代ギリシャ人をほうふつとさせる白い布をまとった中年男性……これはあれか? 神……というやつか? などと思いながらセイヤが目をぱちくりさせていると、
「『よくわからない……』といった顔をしているな」と見透かしたようにその何者かは続けた。「ふむ。下界のものはまだ知らないのだな。誰かにイメージされ、そのイメージの主に多少なりとも幸福感を生み出したものは、その数が累計で億を越えると、絶大な力を得られるということを」
「絶大な力?」
「そうだ」
「その前に」セイヤは恐れ多くも目の前の、まばゆい存在にその素性を尋ねる。「あなたは何者なのですか? もしかして……」
「そうだ。察しのとおりだ。私はあらゆる権限をもち、人々の運命すら容易に操れる、絶対不可侵の存在……」
「やはり、あなたは……」
「そう、主任だ」
「主任?」
「備品がどこにあるかを誰よりも把握しているから、課長ですら私には頭が上がらない。部長にしたってそうだ。よそから異動して来た部長なんかは気に入らなければいつまでも歓迎会を催さないという仕打ちを与えることができる。まして新入社員や非正規の社員なんて私の気持ちひとつで人間関係を変な感じにすることもできる。そう、私には誰も逆らえない。そんな絶対的な権限をもった存在……それが主任だ」
「神様じゃなかったか……」セイヤは肩を落とす。
「神様じゃないとは言ってないが」と主任がいう。
「え? 神様なんですか?」
「神様かどうかはともかく褒美はくれてやる」
「褒美って?」セイヤは期待を込めずにそう尋ねる。
「おまえを主任にしてやろう……何を落胆しているのだ。主任になれるのだぞ。いや……すでになりつつあるのだぞ」
「なりつつある?」
「そう、この部屋の空気には私が含まれている」
「は?」
「この部屋の空気は窒素78%、酸素20%、主任2%で構成されている。おまえはこの部屋に入って10分は経ってるから、もうずいぶんと主任を吸っているはずだ。そして吸った主任の量が200シュニンを越えると、全身の細胞が主任のそれと入れ替わる。わかったかな?」
「1ミリもわかりません」
「平たくいうなら、おまえはもう致死量の……もとい致主任量の主任を摂取してしまったんだ。おまえはもう主任なんだ」
「オレが……主任?」
 首をかしげているセイヤを横目に、目の前の主任はフフッと笑って、冷蔵庫の中へと帰っていった。「あとは時間の問題だ。明日にはおまえはもう完全な主任となっているだろう」と言い残して。

 

 翌日、神々しく輝く主任の、その娘がテレビの前で泣き崩れる。テレビではアイドルグループ『グレート・スキン・フィリーズ』の成瀬セイヤの芸能界引退が報じられている。
「本人のコメントによると引退の理由は、『前々から、より上に行くために、新たなステージに踏み出したいと考えていて、そしてそのタイミングは主任になってしまった今しかないと判断した』とのことです。今後の活動については『芸能活動からは完全に離れて、主任としてやっていくつもり』だそうです」
 主任の娘はさめざめと泣きながら嘆く。
「どうしてセイヤ君脱退しちゃうの。ずっとファンだったのに。あと主任のくだりが意味わかんない。何のどこの主任なの?」
 輝く主任はほくそえんで娘に告げる。
「まあ、なんにしてもアイドルの立場を捨ててまで主任になるってことは、アイドルより主任のほうが偉いってことだ。そしてお父さんはもう10年も主任なんだ。どうだお父さんの偉さがわかったか?」

 

 

 

 

作者紹介

山城窓

1978年、大阪出身。男性。

第86回文学界新人賞最終候補

第41回文藝賞最終候補

第2回ダ・ヴィンチ文学賞最終候補

メフィスト賞の誌上座談会(メフィスト2009.VOL3)で応募作品が取り上げられる。
R-1ぐらんぷり2010 2回戦進出

小説作品に、『鏡痛の友人』『変性の”ハバエさん”』などがあります。

 

 

 

 

 

 

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