ショート小説「寛太譚」

むかしむかし、ある山村での話。
寛太は炭焼きの子供だった。おっ父の権太と兄ちゃんの信太は朝から晩まで木を切り出し、真っ黒になりながら炭を焼いていた。寛太はまだ幼いから力仕事は無理だか、それでも毎日二人を手伝うか、家でおっ母の手伝いをしていた。
ところで、信太には好きあっている女子(おなご)がいた。隣村のおさちだ。しかし、祝言を上げる前は周りの目があるので大っぴらに会う事は出来ない。夜、皆が寝静まった頃そっと忍んで来て逢引をするしかない。だが、信太には朝から晩まで炭焼きの仕事がある。おさちも畑仕事や弟達の世話に追われていて毎日会えるわけではない。そこで、どちらかが上手く家を抜け出せた時は、相手の家の軒先まで来て口笛で知らせようと申し合わせていた。
ある夜の事、布団の中でうつらうつらしていた信太の耳にかすかな口笛の音が聞こえてきた。
「こんな夜中に来てくれたのか!」
胸が高鳴るのを抑えながら、そっと布団から抜け出して外に出た。
「おさち、出てきてくれ。どこだ?」
しかし、どこにもおさちの姿はなかった。その時
「兄ちゃん、何してんだ?」
暗闇からひょいと出てきたのは寛太だった。
「な、何でもねぇ。お前こそ何やってんだ」
「俺か?小便してた」
「こんな夜中にか?」
「目ぇ覚めたんだもん。兄ちゃん、様子が変だぞ。もしかして暗いの怖いのか?」
「バカ言うな!怖いわけあるか」
その時、信太ははっと気が付いた。
「寛太、さっき口笛吹いてなかったか?」
「口笛?うん、吹いてたよ」
一瞬にして信太の頭に血が上った。
「馬鹿野郎、夜中に口笛なんか吹くな!」
「えっ、何で?」
「うるせぇ、さっさと寝ろ!」
信太の剣幕にびっくりして、納得できないまま寛太は一目散に布団に飛び込んだ。

数日が過ぎた。
信太の、おさちへの想いはどんどん膨らむばかりだった。いつも頭の片隅におさちの顔が浮かび、炭焼きの仕事にも身が入らなくなっていた。
“あぁ、次はいつ会えるんだろう?”
その時、前におさちから言われた事を思い出した。
「そうだ、おさちは手が汚いのは嫌だと言っていたな。それと、爪が長いと触られた時に痛いとも・・・」
もう居ても立ってもいられない。信太はすぐに桶に水を汲み、炭で真っ黒な手を突っ込んで何度も指先や掌を擦った。それでも爪の間の汚れはとれない。すると今度はおっ母の裁縫箱の中を引っ掻き回し、鋏を取り出すと、爪の間に切っ先をねじ込んで血が出そうなほど深く切り出した。そうして左手の爪を全て切り終わった時、信太は目の前に誰か立っている事に気が付いた。目を上げると、それは鬼の様な顔をしたおっ父だった。
「この野郎、まだ夕刻じゃねぇか!お天道様があるうちから、にやけて爪なんか切ってるんじゃねぇ!!」
怒鳴り声と一緒に拳骨も信太の頭に飛んだ。大声にびっくりして寛太が飛び出してきた。
「兄ちゃん、何で爪切って怒鳴られるんだ?」
「うるせぇ、お前は引っ込んでろ!」
何が何だか分らない寛太は、不満げに頬を膨らませて奥に戻っていった。

それから三月後、信太とおさちは祝言を挙げて夫婦となった。働き者で利発なおさちを一家全員が気に入っていた。寛太もおさちを実の姉のように慕い、始終纏わり付いていた。
そしてある時、寛太はおさちに問い掛けた。
「おさち姉ちゃん、教えてくれ。何で夜中に口笛吹いたり夕方に爪を切るのが悪い事なんだ?オレ、前に兄ちゃんに怒鳴られちまった」
心当たりがあるだけに、おさちは答えに詰まってしまった。しかし、すぐに持ち前の機転を利かせ、にっこり微笑みながら話し出した。
「それはねぇ、寛太・・・」

それは、その場凌ぎの出鱈目の筈だった。
しかし、純真だった寛太はその話をすっかり信じ込み、自分の子や孫達にも教え続けた。やがて、その話は人から人へ語り継がれ世間に広まっていった。
今でも時々、口うるさい年寄りがその話を子供達にする事がある。
「夜中に口笛を吹くと、蛇が出るぞ」
「夕方に爪を切ると、親が早死にするぞ」
と。

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