『鏡痛の友人-④-』山城窓

鏡痛の友人
-④-

 

 

山城窓

 

 

 

 いったいどうしてあいつは女装までして女湯を覗こうとしたんだろう? そこまでして見たいものが本当にあそこにあったろうか? おばちゃんかそれに準ずる者ぐらいしかいなかったろうに。そもそも女体を見たけりゃ映子のそれを見りゃいいだろうに。
 そんなことを思いながら帰り道をとぼとぼ歩いて、映子のマンションが見えてくる。そのときバッグの中で携帯電話が震える。見ると映子からの連絡だ。あれから二度ほど映子から連絡はあったが私は電話に出なかった。今回もすぐに携帯をバッグにしまう。見上げると映子の部屋が確認できる。もう薄暗いが部屋の電気は点いていない。部屋にはいないのだろう、と思うが、まもなく映子を見つける。彼女は公園にいた。最初に出会ったのと同じ公園の同じベンチに彼女は座っていた。薄暗くて気付かなかったことにしようと私は前を向きすたすた歩いた。向こうも気付かなかったのかな、と思ったところで、「朋子ちゃん」と名前を呼ばれた気がしたが、これも聞こえなかったことにして振り返らずにいた。そしたらいきなり性器がくすぐったかった。力が抜けて立ち尽くした。振り向くと映子が自分の股間をいじくり顔を歪ませながら、にじり寄るように向かってきた。その歩みは遅々としていたが、無理に逃げようとすれば私もああなるな、と観念してその場でじっと待った。やがて私のそばにたどり着き、股間から手を離した彼女に「何のつもり?」と尋ねた。
「あなたと話したかったの」映子はスカートにできた皺を手で撫で付けながら話す。「でもあなたは電話に出なくて。今もあなたを見つけたけど、あなたは気付かないふりして行っちゃうし。それで何とかあなたを止めようとして。自分を叩くかつねるかすれば、あなたも同時にその痛みを感じるはずだから、そうやってあなたを引き止めようとも思ったけど、やっぱり自分経由とはいえ暴力はよくないかなって思って。だから股間をまさぐったの」
「……で、なんの用?」
「話したいの」
「別にいいんだけどね……」 
 どちらからともなく歩き出して公園へ戻り、ベンチに腰を掛けた。
「ごめんね」と映子から切り出した。「あなたは翔太君のことを嫌いなんだと思ってさ、なんか迷惑そうだったし、別にもうどうでもいいんだろうと思ってたの。だからあなたがショックを受けるだなんて考えてなくて……だからごめん」
 なんで謝られなきゃいけないんだ、と癇に障ったが、ここで不愉快になると結局は嫉妬だと思われそうなので、
「あなたは間違ってない」と私はなるべく緩やかにいった。「私は翔太のことは嫌い。それに迷惑してた。だからいいの。ただあのときはちょっとびっくりしただけ。だってまさかそんなに急にあなたとそんな関係にまでなっちゃうなんて、思いもしなかったから」
「私、貞操は軽い方なの」
「そう……」
「でもね、翔太君とはもう終わっちゃったから、私はあなたとまた二人でやっていきたいの。占い師もやり始めたところだったしさ、あれ私ひとりじゃできそうにないし」
「ちょっと待って。今なんて?」
「あれ私ひとりじゃできそうにないしって……」
「違う、その前。翔太とはもう終わったって?」
「ああ、うん。今日でもう終わり」
「どうして?」
「気持ち悪くなっちゃったの」
「は?」
「女みたいでさ」
「ん?」
 翔太は最初は男らしくしていたが、徐々に女言葉を使うようになり、映子のスカートを穿いてみたり、下着まで着けたがったりした。「アタシ映子ちゃんになら全部さらけだせるよ」って女の子っぽい口調でいったりしてて、最初は何かの冗談かとも思っていたが、今日はとうとう家から女装を完成させてやってきた。「アタシこの格好で映子ちゃんに抱かれたい」とはにかむ翔太に寒気がして、すぐに帰ってもらった……とのこと。
 ああ、そうか、女湯を覗くために女装したんじゃなくて、先に女装があってせっかくだから女湯を覗いたということか。と、一つ納得するが、いったい何がどうなっているのか。
「だから翔太君のことはもういいの」ニコっと歯茎を見せて映子は胸を高鳴らせるように続ける。「あんなのほうっておいて、また一緒に組みましょう。この間いってたじゃない?  今度はご利益のありそうなものを売るって。それでね、私いろいろ探してみたんだけど、使えそうな物が結構あるの。私マフラー編むの好きでさ、いくつか余ってるの。あと体重計も。なんか床が固くないとちゃんと計れないみたいなんだけど、うちって全部ふかふかした絨毯だから使えないの。部屋の外の廊下にまでいけば使えるけどそこまでする気もなくてまったく使ってないの」
 手編みのマフラーと体重計。たしか私が「何でもよい」とは言っていたが、ちょっと違う気がする。フリーマーケットと間違えているのではないかとも懸念していると、映子はもっと違うことをいう。「しゃもじも余ってる。引っ越してからすぐにスーパーでしゃもじを買っておいたんだけど、その後に買った炊飯器にもしゃもじが付いてて、だから一個ずっと使ってないの。あ、それとさ、ポケットティッシュが腐るほどたまっているから、それも出そう」
 もはやフリーマーケットにもならない。この子はちょっと一人にできないところがある。しかし……
「また連絡する、本当に」と言い残して私はその場を去る。

 

 翔太の部屋を訪れる。そこは私の家から遠くない。そもそも私と翔太は高校のときから同じ市内に住んでいる。私はお父さんの腰痛やお母さんの神経痛や弟の偏頭痛を一緒に感じるのがいやで卒業後家を出た。でも家族が嫌いなわけでもなく、わりと近くに部屋を借りた。
翔太は姉が一人、弟が一人、妹が二人いて、家が狭いという理由で高校卒業後しばらくして家を出た。そんな理由だから彼も実家から遠くない場所で、それでいて私の新居に近いところを選んだ。最初は私と一緒に住みたがったが煩わしいので断った。そのころはもう私は気持ちが冷めているころで、一人でラブホテルに繰り出し、他人の快感をむさぼっていたころだった。知らない男に直に触れ合うのは抵抗がある私だが、直じゃないので抵抗はなかった。快感にすっかりと埋もれてから、ラブホテルの自動支払い機に五千円を投入したときに、ピンサロやらに通う男の人の気持ちが少しわかったような気がしたものだ。金は掛かるが、気持ちよく後腐れなく、後腐れがない分むなしかった。私のあれは浮気だったろうか? そうかもしれない。けど他の男性に欲情するってことはみんなある。色気のある男性ならその声を聞くだけで体がクンと反応することだってある。思えばあれも抱かれているようなものだ。男はそれに気付いていないのだろうか。致し方ないと割り切っているのだろうか。割り切りがたいことでも割り切ったほうが物事は上手くいく。そういうことは多い気がする。
そんなことを思い巡らしながら路地をうねうねと抜けて、翔太のアパートに辿り着く。静かで灯りも弱々しく、テロリストでも潜んでいそうなアパートの一〇一室が翔太の住処。ドアの前まで来ると右肩に違和感が感じられる。その違和感で翔太の在宅を確かめてから、部屋のインターフォンを押す。翔太がまもなくドアを開ける。Tシャツと短パンという出で立ちで、彼は「おおっ」と驚きの色を顔に浮かべる。まあ驚くだろう。今まで自分を避けてきた人間が向こうからやってきたわけだから。
「あがっていい?」
「いいけど…」驚きの色が消えないまま、翔太は私を部屋へ通す。私は六畳のワンルームの真ん中に立ち、キョロキョロと部屋を眺め回す。押入れもない部屋で端のほうには布団が積み重なっている。ソファ代わりに彼はそこに座る。どこか偉そうな姿勢だが、震えた声で翔太は「ど、どうしたんだよ?」と問い掛けてくる。私がそれに答えずにいると翔太がしどろもどろに続ける。
「別にあれは……違うからな。女湯のほうに入ったのはちょっと……間違って入っただけで全然そういうつもりじゃなかったし……この間だって映子とそういう感じになったけど……あれはなんか、いつのまにかそうなってて……俺はおまえと別れたくなくて……でも映子はすごく俺のことわかってくれて……だから……もっとこう……おまえも……フレキシブルにどうにか……いろいろと……」
 弁解のようだが後ろめたさが重なったせいなのか、何についての弁解なのかもよくわからない。構わず私は「どこにあるの?」と尋ねる。
「何が?」
「ワンピースとかウィッグとか」
「何いってんだよ?」
「今日着けてたじゃない。それに映子からも話は聞いてる。持ってるんでしょ?」
「馬鹿なこというなよな」と目を逸らしながら彼はいう。ネタは上がっているというのに、この期に及んで誤魔化そうとしてる。焦れた私は勝手に部屋のキャビネットを探る。
「何してんだよ?」と余裕ありげに翔太が尋ねる。その余裕から私は、ここではないのだろうと推察し、今度はテレビ台の引き出しを開けてみる。ここにもない。改めて部屋を見回して、翔太で視線を止める。小動物のように睨みを向けてくる。その彼に歩み寄ってみると、「いったいなんなんだよ、急に押しかけてよ!」と語調が一段荒くなる。その慌てぶりから近いな、と感じて翔太を「ちょっとどいて」と押しのける。バランスを崩して彼は布団の山からずり落ちる。するとその布団の間から白いレースの生地が覗いて見える。掻き分けて引っ張り出すとそれはしわくちゃの白いワンピース。あった、あった。ふと見ると、さっきまで布団の山が隠していた部屋の隅にはスーパーの袋が逆さまになっている。不自然だなと怪しんでその袋を取ると、ウィッグスタンドに掛けられたウィッグが現れる。それから翔太を改めて見つめる。言葉を失くして何か恐ろしげに立ち尽くしている。私はワンピースとウィッグを手に取ってみて確かめる。よく見ると安物だな、なんて思いながら、でもワンピースの色合いもウィッグの髪型も悪くない、ってか可愛いなと感心する。
「なんの真似だよ……」と翔太はおずおずと声を出す。
「女の子になりたかったの?」と私は突き放すように尋ねる。
「言っておくけどな」居丈高に彼は言い放つ。「俺が好きなのはあくまでも女だからな!」
 そこだけは間違えてくれるなよ、といった顔で、あろうことかかっこつけている。
「着てみてよ」といって私はワンピースとウィッグを差し出す。
「はっ、何いってんだよ。俺がどうしてそんなの着なきゃいけないんだよ」
 着てたじゃねえかよ、と思うが別に着せなくても構わないなと思い直して私は翔太に近づく。
「なんなんだよ、どうする気だ? 警察にでも突き出すつもりか? それとも恐喝でもする気か?」
「そんなことはしない」といって私は翔太の胸をシャツの上から手の平で触る。ごわっとした不自然さを感じるのと同時に彼の口から吐息が漏れる。そのまま胸を揉んでみると、「やめろよ」とか細い声で彼はいって、私の手を払おうとしたが、その力は弱々しく、私が彼の手を払いのけた。シャツをたくしあげると彼はブラジャーを着けていた。ブラの上から乳首を探すように指で撫でた。抵抗のなくなった翔太の背中に手を回し、そのブラを外した。また翔太から吐息が漏れた。両乳首を人差し指の先でちょんちょんと触ると、それに合わせて彼は「あん、あん」と零した。しばらく続けると、彼の膝ががくっとしたので、「座っていいよ」と促した。えらく素直に彼は布団に背中を持たせかけて座った。ばんざいをさせてシャツを脱がしてやり、引き続き乳首をちろちろといじくった。彼はなんなら私のそれよりも可愛いらしいあえぎ声で、身悶え続けた。なるほど、前にも乳首あたりを触ろうとすると、頑なに拒否したことがあったがそこがすこぶる弱かったわけだ。
そんな記憶を思い出しながら私は無表情に彼の乳首を舐めた。彼は「いやあー」とわめいたが、気持ち良いのはわかっている。その快感はちゃんと私にも伝わっていて、私の乳首も気持ち良くなっているのだから。そのことは悟られまいと私は彼の短パンをずりさげた。ショーツを穿いている。そこから勃起していた性器が苦しげに頭をはみ出させている。ショーツもずりさげてそれを助け出し握り締める。それをしごいてやりながら乳首も舐め続ける。「うあ、あう、はああ」とわけのわからぬ声を上げ続けて翔太はやがて自分の腹に精子をぶちまけた。しばらく身体をびくつかせて、彼は息を弾ませていた。その目は涙に滲んでいる。「よし」と私は一人呟いた。
 私は冷蔵庫から勝手にグレープフルーツジュースを見つけて、部屋に備え付けの食器棚からグラスを取り出して注いだ。いつのまにか喉が渇いてたのかごくごくと飲み干した。まだ渇きが消えてないので、仕方なく翔太の分も注いでやった。たぶんこの渇きは翔太のそれだろう。お腹と性器の精子をティッシュで拭いてるところの翔太に、「はい、飲みな」とグラスを渡した。生臭いままの翔太だが、グラスを受け取ると精子のことは忘れた様子でジュースを一気に飲み干した。それからローテーブルにグラスを置き、口元を拭い、しばらくあらぬ方向を見てぼんやりと座っていた。私は彼の背後の布団の山の上にどかっと座った。
「何が『よし』なんだ?」と思い出したように翔太が私を振り向いた。
「私、今みたいなあなたとならやっていけると思う。別れなくていいよ」
「え?」わけのわからぬ様子で、翔太は口をぽかんと開ける。閉まることのない口を見据えて、私が語る。「そもそもね、私は男らしさを穿き違えて、偉そうに威張り腐っているあんたがうざかった。でもあなた今かわいかった。そういうあなたなら私は好きになれると思う」
「ああ……」と翔太は曖昧に呟き、恥ずかしそうに目を逸らした。
「どうして今までそういう姿を見せなかったの?」追い込むように私は尋ねる。
「どうしてって……」うつむきながら、でも時々こちらを見上げながら翔太はいった。「だって……見せれねえよ。女みたいな男って絶対『気持ち悪い』っていわれるだろ」
「絶対じゃない」と私は口を挟む。「そりゃ『気持ち悪い』っていう人もいるけど、『可愛い』っていう人も少なからずいる。でも『気持ち悪い』って言葉があまりに強いからそればっかり印象に残ってるのよ、あなたには」
 上手く意味を飲み込めていない様子で彼は目を泳がせるが、やがて何か引っ掛かった様子で答えを求める。
「でもおまえは特にそうじゃねえか。すぐに人のこと『気持ち悪い』っていうじゃねえか」
「全然違うのよ、状況が」何かの先生になったような気持ちで私は説く。「あんたの趣味やら性癖やら、延いては生き様やらが普通じゃないってことぐらいで私は気持ち悪いだなんていわない。私が気持ち悪いって言ってるのは、なんもかんもすべて相手が悪いことにするあなたの歪んだ根性のことなの。押し付けがましいあなたのその圧力をこっちは押し返さないといけないから、こっちも強く言い返さないといけなくなるの。あなたが引き出しているのよ、『気持ち悪い』っていう強い言葉を」
「俺何も押し付けがましくないだろ」という翔太に、押し付けがましくないことにしようとする今の態度がまさに押し付けがましいのだ、といおうかとも思うが、その圧力はいつもよりは随分とマシなので容赦してやる。
「あなたは常に怯えているの。怯えている者は無意識に攻撃的な気を発してるの。どうにか自分を守ろうとして、高圧的に自分の考えを押し通そうとする。こっちはそれを押し付けがましいと感じる。で、それを押し返すために、それこそ普通のことでもあなたに怒気をぶつけるような強い口調で話すことになる。あなたはそれが恐ろしくてまた怯える。そういう悪循環になってるから、そこから抜け出すには理解しなきゃいけないの。怯えることなんかそもそも無いんだっていうことをね」
 翔太を見続けることで紡ぎだした私の見解をここぞとばかりに発表するが、翔太は「俺、怯えてなんかねえよ、全然怯えてなんかねえよ」と最初のところで引っかかってるから、ちょっと理解は期待できない。
「とにかくさらけだしゃいいのよ」面倒になって私はそういう。「さらけ出したあなたはかわいかった」

 

 

 

作者紹介

山城窓[L]

山城窓

 

1978年、大阪出身。男性。
第86回文学界新人賞最終候補
第41回文藝賞最終候補
第2回ダ・ヴィンチ文学賞最終候補
メフィスト賞の誌上座談会(メフィスト2009.VOL3)で応募作品が取り上げられる。
R-1ぐらんぷり2010 2回戦進出
小説作品に、『鏡痛の友人』『変性の”ハバエさん”』などがあります。

 

 

 

 

 

 

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