『魔法のメガネ』(文/にゃんく、絵/ササハラ)

魔法のメガネ

 

 

文:にゃんく
絵:ササハラ

 

 

 コタローは或るあさ出勤途中、路上である物を拾った。
 それは四角い、虹色のメガネだった。
 新しいタイプのメガネだろうか。こんな形や色は見たことがない。
 コタローはメガネ屋で働いていることもあり、自分の縁なしメガネをとり、落ちているその四角メガネをかけてみた。つけ心地がいい。度もぴったり合っている。けれど、何処となく、世界がそれまでとは一変したように見えた。だがその時は何処がどう変わったのか、コタローは自分自身でも気がついていなかった。
 バスに乗って会社に向かう。その途中でコタローは気づいた。
 乗客の一人の姿が牙を剥き出しにした狼になっていた。狼は長い舌をなめずるようにして乗客たちを眺めている。コタローはぶるぶる震えた。乗客たちに危険を知らせたかった。でも狼と視線が合うと、そうすることがおそろしくなった。コタローは次の駅で降りた。

 


 会社に着くと事務室のテレビからニュースが流れていて、コタローがついさっき乗っていたバスが乗客の男によりバスジャックされ、乗客を人質にとった犯人は、高額の身代金を要求しているという。
「このメガネのおかげであやうく命拾いした」
 とコタローは呟いた。コタローの同僚の聞耳君は、コタローの呟きを聞き逃さなかった。
「どうしたんです、コタロー先輩?」
「いやね、僕、このバスに乗っていたから、危ないところだったんだ」
 とコタローは話した。
「でも、胸騒ぎがしたから、すぐ下りて助かったよ」
「このメガネのおかげで助かったとかって仰っていませんでした?」
 コタローは四角メガネを少々、人差し指でもちあげて、目をそらした。「いや、気のせいだよ」
 聞耳君は、珍しいメガネをかけているコタロー先輩の顔を凝視していた。コタローは逃げるように売り場へ出て行った。
 テレビのニュースが、バスの中に銃を持った警察隊が突入したことを告げていた。事件は、人質一名が死亡するという痛ましい結果におわった。

 

 コタローはそれ以来、仕事中、プライベートを問わず四角メガネをいつもかけるようになっていた。コタローはそれまで付き合っていた顔立ちのきれいな彼女と別れ、しばらくしてから、容色のよろしくない女性と交際するようになった。コタローの友人たちは皆、コタローが自分から顔立ちのきれいな彼女と別れ、容色のよろしくない女性に愛の告白をして交際しはじめたことを知り、何故そんな勿体ないことをしたのかと思い、そう口にもした。けれど当のコタローはそんなことにはお構いなしだった。コタローは上機嫌だった。何故なら、四角メガネのおかげでコタローは人間の真実の姿が見えるようになっていたからである。顔立ちのきれいな彼女は、四角メガネをかけて見れば、お金の計算ばかりしている醜い魔女に見えたし、容色のよろしくない女性は、四角メガネをかければ、コタロー思いの、心のきれいな絶世の美女だった。
 コタローは他の人が見れば容色が良くない女性と結婚した。

 

 聞耳君はそんなコタローの変化を訝しく思っていた。聞耳君はコタロー先輩が四角メガネのおかげで命拾いしたことを知っていた。彼はコタローの幸せいっぱいの毎日が、あの日以来かけはじめた四角いメガネにあるのではないかと疑っていた。そして、聞耳君は妻と結婚してまだ六ヵ月の新婚さんだったけれど、自分の生活に満たされないものを感じていたから、ぜひとも自分の生活を改善したいと考えていた。四角メガネで人生変われるのなら、その力にすがりたかった。彼はコタローの隙を見て、四角メガネを拝借する計画を立てた。

 

 聞耳君の計画を実行に移すときは、すぐにやって来た。その日聞耳君はコタローを我が家に招いて一杯飲む予定だった。聞耳君はあらかじめ、コタロー先輩の好むビールをたくさん冷蔵庫に貯蔵しておいた。コタローと聞耳君が会社から聞耳君の自宅へやって来ると、すぐさま宴会ははじまった。聞耳君の妻のルミも、コタローのグラスに何度もビールをついだ。
 そのうちコタローは酔っぱらって、奥の和室で寝転がってしまった。通勤シャツがズボンからはみだしている。
 聞耳君はコタロー先輩に、
「メガネをかけっぱなしだと危ないですよ」
 などと適当なことばをかけながら、コタローから四角メガネをとりあげて、自分でかけてみた。何が違うのだろう。ひどくかけ心地がいい。度はぴったり合っている。和室の周囲を見廻してみたが、しかし取り立てて変化というものがない。コタローの姿を見ると、彼の姿は四角メガネをかける前とかけない前とでは変化がなかった。聞耳君は振り返って背後を見た。そこには研ぎ澄ました月のような大鎌を手にした死に神がいた。死に神はヒヒヒヒと嘲笑いながら、聞耳君に近づいて来て、鎌の刃で聞耳君の首を落とすような素振りをみせた。
 聞耳君は驚いて、死に神の脇を抜けて、台所から包丁を持ち出して、振り返りざま死に神を刺し殺した。聞耳君は、包丁を握った手に助かりたい一心に力をこめた。死に神は嘲笑いながら、和室のコタローの横にどしんとお尻から倒れた。けれども死に神は聞耳君に手を差し伸べ、しぶとくもう一度立ち上がってこようとしたから、聞耳君はさらに包丁を死に神の胸のあたりにグサリと刺した。死に神の断末魔の叫び声が響いた。聞耳君は、さらに腹のあたりにとどめをさした。

 

 死に神の黄色い目の色が黒に変わると、声がしなくなった。なんだか、後から思うと、かわいそうな死に方でもあった。聞耳君は今や冷静さを取り戻しはじめていた。そして家のなかを見廻して、眠っているコタローと絶命した死に神しかいないことを知ると、この死に神はいったい誰なのかと、四角メガネを人差し指で持ち上げながら考えた。(了)

 

 

 

執筆者紹介

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です