モフモフとニヤン
文:にゃんく
絵:tommydavis
テントが無数に並んでいるだけの貧しい村に、一人の男がやってきた。太陽がオレンジ色にただれて、沈もうとしていた。
男はアルパカを一匹連れていた。白くて毛がふわふわしていて、おとなしくて、賢いやつだった。
「腹がへったな」
と男は言った。
「でも、もう少しだ、モフモフ。がんばれ」
アルパカのモフモフは、頭を男の腰のあたりにすりつけた。男はモフモフの毛並みをしずかに撫でた。
男は、名前をニヤンといった。
親とはぐれた子供のモフモフを、毎日世話してここまで育てあげたのもニヤンだった。
ニヤンに連れられて、はじめて目にした清流のほとり。
ニヤンと遊んだ草原での、鬼ごっこの思い出。
モフモフにとって、ニヤンは何よりも大切な存在だった。
テントとテントをむすぶ村のあぜ道で、痩せた村人の女を見かけた。
ニヤンが宿の世話をたのむと、痩せた女は、薄幸そうな笑顔でこたえてくれた。
ニヤンとモフモフが案内されたのは、布で仕切られた、テントの一角だった。
テントの三角屋根のうちがわには、蜘蛛の巣が張りめぐらされ、むきだしの地面には、干からびたトカゲの死骸がころがっていた。
水が足りないらしく、ホコリだらけの体を、湿らせることもできなかった。
貴重なお金をテントの所有者に支払ったにもかかわらず、夕飯のつもりで出てきたのは、タロイモの痩せ細った根っこの部分だけだった。
この村には、ニヤンが怖れていた、都会のような人間関係の殺伐さはなかったけれど、生命の維持に必要な食料が、決定的に不足していた。
村人のほとんどが、ガリガリ。みな、満足な食事を採っていないようだった。
そんなニヤンとモフモフを気にかけてくれたのか、この村にやってきてはじめて出会ったあの痩せた女がやって来て、教えてくれた。
「今週中に、都市の動物園から、仕入れた動物の肉と牧草がとどきますんで」
女は薄幸そうな泣き顔のような笑顔でつづけた。
「それまで、どうか、辛抱してくださいね」
とくに行く当てもないニヤンとモフモフは、空腹をだましだまし、テントの中の簡易ベッドに寝転んで過ごしたり、ほこりっぽい、村のあぜ道を散歩したりした。
ニヤンの生活は、幸せなものではなかった。
きらびやかな都市に憧れて、公的な役職に就いたにも関わらず、周囲の理不尽な要求や都市を歩く人々の嫉妬の目に疲れ、逃げるように旅また旅の生活をおくるようになったのである。
それでも、モフモフは、ニヤンと一緒にいることができて幸せだった。
言葉こそ話すことができなかったけれど、モフモフはニヤンと心で通じ合っていると信じていた。ご主人様が悲しいときには、フワフワの毛にあたまをうずめて思う存分泣いてもらうこともできたし、ご主人様がうれしいときには、一緒に外をかけまわることだってできた。
そして、待ちにまった食料が村に届けられた。
それがよそ者のニヤンたちに届けられたのは、もちろん一番後まわしになった。
それでもふたりは辛抱強く待ちつづけた。
そうして、ついにふたりの順番がまわってきた。
網のうえでジュージュー焼かれている肉を見て、ニヤンは腹の虫が鳴るのを抑えることができなかった。牧草のご馳走も、モフモフのために用意されている。
ニヤンはヨダレを垂らし、肉を一口ほおばった。得も言われぬ美味が口腔内にひろがった。
そうして、村人に、このおいしい肉は何の肉かと聞いた。
「アルパカの肉です。都市の動物園で殺した、アルパカの肉ですぜ」
ジュージュー音をたてて焼けている網の上の肉から、そう遠くない草むらに捨てられているのは、撲殺されたアルパカたちの剥ぎ取られた皮なのだった。
モフモフはニヤンを信じていた。けっしてアルパカである自分を食べるような考えを、あのニヤンがもつはずがないと信じていた。モフモフは、自分をみあげるニヤンの視線を見つめた。
「どうしたんだい、モフモフ?」
とニヤンは言った。
「調子でも悪いのかい?」
モフモフは、気分が悪そうに、山盛りになった牧草の前で、ただ首をたれているばかりだった。モフモフは、自分を撫でてくれるニヤンの手が、いつもと違うように感じてならなかった。
その夜、満腹になって、狭いテントの一角の、簡易ベッドの上で、いつもよりぐっすり眠っているニヤンのそばで、モフモフは目蓋をとじることもなく、震えていた。
ニヤンがモフモフを信用し、日頃からリードをつけていないことだけが救いだった。
まだ月のあかりが冴えわたっている夜更けに、モフモフは、その村の、ご主人様が眠るそのテントをあとにした。誰も見張りはいなかった。何度も何度も、テントのほうを振りかえった。ひょっとして、ご主人様は、ぼくを食べようとはしないかもしれない。そう思った。けれど、そんな気持ちを振り切るように、モフモフはもう振り返ることはせずに、一心に山道を歩いていった。ご主人様といえど、いちど味わってしまったら、アルパカの肉をもっと食べたいと思う誘惑の力には勝てないはず。今まで、ありがとうございました。さようなら。ご主人様。
朝靄のなか、モフモフはもつれる足で山をこえた。
誰かが、しつこく後をつけてくる気配を感じていた。
連日の飢餓のために、脚力がめっきり弱くなっていた。
ついに、その人影がすがたをあらわした。二人の男たちが手に光り物を握って迫っていた。
弱ってはいたが、モフモフは駆けられるだけ駆けた。捕まったら殺される。それだけは、モフモフにも理解できる、たしかなことだった。
「アルパカがいるぞ!」
追っ手も、逃がさじと走って来た。モフモフの白い毛は、汗でびっしょりだった。勾配のきつい坂を、心臓が破れるかと思うほど、駆けた。
朝靄が晴れて、きつい日差しが照りつけていた。
肉切り包丁をにぎった追っ手のふたりは、どこまでもモフモフを追跡してきた。
右手は絶壁で、左手は崖だった。そこから、地平線に、見渡すかぎりの荒れ果てた土地がひろがっている。
モフモフの脚力では、彼らを振りきれそうになかった。みるみる、その距離は縮まってきていた。
あっという間に、男のひとりが、モフモフの白い、熱い、柔らかい毛をつかんだ。
モフモフは、その場に押し倒され、うずくまった。足がガタガタふるえていた。逃げなくてはいけないことはわかっていた。でも、もう体がうごかないのだ。
男が包丁を天にかざした。逆光で、男の顔が黒かった。
突然、男がおしのけられ、男の頭部が絶壁の岩にぶつけられた。
もうひとりの男が、足をすべらせ、崖から身をすべらせて墜落していった。
間の抜けたような悲鳴が、こだました。
頭を岩にぶつけた男が、何事かをわめきながら、元来た道を逃げて行った。
「ごめんよ。」
とモフモフに語りかけたのは、他でもない、ニヤンだった。
「ごめんよ」
奇跡がおこったことが、だんだんとモフモフにもわかってきた。ニヤンが助けに来てくれたのだ。
「すこし目を離したすきに、……もう少し遅かったら、やつらにやられていた」
ニヤンは、涙をながして、モフモフの、毛先が若干カールした、白い体毛に顔をうずめている。
ニヤンが、ここまで助けにきてくれた。
もう、ニヤンの元を離れない。
モフモフは、ニヤンの顔をぺろりと舐めた。
そのあと、とつぜん、ニヤンが夢から覚めたように、ガバと顔をあげた。
「他の人に食べられるくらいだったら、ぼくが食べたほうが絶対いいよね」
モフモフに立ち上がる気力は残されていなかった。ニヤンが後ろ手ににぎっていた包丁が、いま太陽に照らされて鈍色にかがやきだしていた。
(おしまい)
tommydavis
tommydavisさんは、かわいらしいイラストを、すばやく描いてくれます。
にゃんく
にゃんころがりmagazine編集長。X JAPANのファン。カレーも大好き。
*このショートストーリー『モフモフとニヤン』については、作品づくりのアイデアを、菓子畑 鈴花さんからいただいております。菓子畑 鈴花さん、ありがとうとざいました。