『桜の森の満開の下(坂口安吾/作)』小説レビュー

 

 

 

イラスト/月ノ美 黒羽
文/にゃんく

 

「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。」の一文ではじまります。
それから、「大昔は桜の花の下は怖ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした」、「桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかり」、桜の林の下にいると皆気違いになるというふうなことが語られます。その満開の桜の林がある山に山賊の男は住んでいます。

 男は旅人を殺して持ち物を奪ったりして生活しています。或る日、美しすぎる女が通りかかり、男はこの女を自分の女房にし、その亭主を殺します。男は自分の家まで向かうため、その女を背負って山を越えようとしますが、女は大変なワガママもので、険しい坂道を男に走って行けないのかなどと催促します。

 家に着くと男の女房が七人いて、女が前からいた女房たちを殺すように男をせっつきます。男は前からいた女房を六人殺し、一人残ったいちばん醜いビッコの女を、美しいおんなの要望により生かして、美しいおんなの女中にします。そして男は、憑かれたように前からいた女たちを殺していたときの己の心境を、満開の桜の森の下にいる時の、怖ろしい瞬間に似ていると思いました。
 男は美しい女のためにご馳走を毎日用意しますが、女が満足することはありません。女は都を恋しがり、
「お前が本当に強い男なら、私を都へ連れて行っておくれ」
と男に懇願し、男は都へ行くことを決めます。ただ、二、三日後に森の桜が満開を迎えようとしています。男は、花ざかりの下で今年こそ身動きもせずじっと坐っていてみせると決意していましたので、都へ行くのはそのあとにすることにします。
 三日目が来て、男は森へ出掛けますが、花の下で混乱した気持ちにおそわれたので、そこから逃げ出します。男は桜の花の下から抜け出したとき、夢の中から我にかえった気持ちになっていました。「夢と違っていることは、本当に息も絶え絶えになっている身の苦しさ」なのでした。

それから山賊の男は、美しい女、それにビッコの醜い女の三人で都に住みはじめます。美しい女がのぞむので、男は色々な立場の人間の首を斬り、その首を邸に持ち帰ります。女はその首を使いクビ遊びをはじめます。つまりそれは、どのクビがどのクビに恋したりだとか、フラれたりだとか、そういうふうなことです。女は美しい女性の首が手に入ると非常に喜び、それでクビ遊びをしたあと、クビを針でつついたり小刀でえぐったりしてめちゃめちゃにします。

男は都を嫌い、退屈しはじめます。女の欲望にキリがないのにも退屈をしました。女はさらに白拍子の首を持ってくるよう男に促しましたが、男はそれを断り、しばらく山に籠ります。そこで男は山の家へ帰る決心をし、山を下り、そのことを女に伝えようとします。


すると女は珍しく帰ってきた男に優しい言葉をかけます。そして山の家へ帰るという男に、一緒でなければ生きていけないと女は涙を流します。男は喜び、女と一緒に山の家へ向かいます。しかしこの時女は、内心で男を説得すればすぐ都へ帰れるだろうと思っていて、ビッコの醜い女中に「すぐ帰るから」と言い含めて都に女中を残して行きます。


そして、男は、女をはじめて家へ連れ帰った時と同じように、女を背中に背負って山をのぼりますが、行く手には桜の森の満開があります。男は今幸せで、だから満開の桜も恐れていませんでした。しかし満開の下に足を踏み入れた時、おぶっている女が鬼であるような気がして、殺してしまいます。ふと我にかえると、殺したものは鬼でなく、あの美しい女でした。


男が手を伸ばし、女の顔の上に散っている花びらをとってやろうとすると、女は消えて、花弁ばかりになり、男の姿も消えてしまいます。

 

 *

 

 『夜長姫と耳男』、『桜の森の満開の下』の2作品をもって、安吾作品の最高峰と位置づける評論家もいます。『桜の森の満開の下』は文章力があり、しかも普通の文章ではなく、ぽきぽき脱臼するように、物語の軌跡が意表をついて変化していく、とらえどころのない、不思議な読後感・あじわいのある作品です。

  人の心理の感じ方、思い方が、普通の世界とは違っています。

  寓意に満ちた作品でもありますが、そればかりでなく、話の脈絡、原因と結果が、繋がっているようでいて繋がっていないところもあり、それがまた不思議な味わいを醸し出してもいます。

たとえば美しい女は首を集めていますが、男は所望されるがままに女に首を差し出し、女がやる「クビ遊び」を、薄気味が悪いだとかいうふうには思わずに、ただ後になって「退屈だ」と思います。


『夜長姫と耳男』と共通しているのは、どちらも残酷なことが淡淡と描かれ、説話形式であるということです。


男は桜の下に怖れを抱いていて、いつかそれを克服してやろうと思っています。しかし、女とようやく自らのふるさとである山の中で一緒に暮らせるというところで、桜の満開の下を通りがかるわけです。自分は大丈夫、桜の下に行っても気違いにはならないと男は突き進んでいきます。が、満開の圧倒的な存在感のために、気持ちを正常に保てなくなって、愛する女を殺してしまう。そのイメージが、非常に美しい作品です。

  首を集めて喜んでいる女の姿は奇妙に感じますが、これは何を意味しているのかと考えると、「世間で暮らす」ということではないかと私は思います。つまり、「世間で暮らす」ということには、多かれ少なかれ、人を出し抜いたり、人から出し抜かれたりしていることがままあるわけです。そうしないと生きていけない。弱肉強食の世界ですからね。切った張ったの闘いの毎日です。男は此処で、愛する女のために、外の世界で戦って、たくさんの首を家に持って帰ってきている。謂わば勝ち組です。この男は強い。女はそんな男が一生懸命外で戦って家に持って帰ってきてくれる「首」を喜んでいるのではないか。女の奇妙な「クビ遊び」はそういう意味にもとれると思います。
  けれどもやがて男はそのことに退屈を感じはじめ、山に帰ることを決意します。

 

イラスト作成者

月ノ美 黒羽

冒頭のイラストを描いてくださいました。

 

レビュー作成者

 

にゃんく

にゃんころがりmagazine編集長。X JAPANのファン。カレーも大好き。

 

 

 

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