ショート小説「ヒミツの秘密兵器」

それは月末の春河物産、経理課での事だった。
「この領収書、どうしますかぁ?」
ピリピリした空気を木下のゆるい声がぶち破った。
金銭を扱う性質上、切れ者揃いの経理課において「唯一のマヌケ」と評判なのが、この木下である
「どれ、見せてみろ」
課長の杉浦がすぐに手招きをした。木下を野放しにしてはいけないのだ。
「これです」
手渡された領収書の束見た瞬間、杉浦は舌打ちしたくなった。
「全部、営業の真下主任が持ってきた領収書だな」
「見てくださいよ、キャバクラや高級クラブのばっかりですよ」
「だから何だ?」
意外な反応に木下の舌が一瞬もつれた。
「いや、だから、あの・・・とても必要経費とは思えないです。どうみても個人的な遊び金じゃないですか」
「いや、これはいいんだ。黙って通せ」
敢えて必要事項だけを杉浦は告げた。「仮にも経理の人間が『遊び金』なんて言うな。『遊興費』と言え」など教えてやるほど親切ではなかった。しかし、空気の読めない木下は納得いかない様子だったので、杉浦は威厳を込めて言い直した。
「これは経理課での暗黙の了解だ。それだけ覚えておけ」
「・・・了解です」
一ミリも了解していない表情で、木下は自分の席に戻っていった。

*   *   *

それから五日後、帰ろうとしていた木下は杉浦に「ちょっと付き合ってほしい」と呼び止められた。
“俺も、ついに課長から誘われるまでになったか”
と喜んでいた木下だったが、その後の
「酒じゃないぞ。コーヒーだからな」
と言う言葉には流石に少し落ち込んでいた。
会社近くのファミレスに入り、約束通りコーヒーが運ばれてくると、おもむろに杉浦が話し出した。
「この間の真下主任の件だが、お前、俺の話に不満そうな表情だったな」
「えぇ、まぁ・・・」
「この際だから教えておく。真下主任の領収書は問答無用で通せ。通称『秘密兵器』だ」
「『秘密兵器』?でも、真下主任って仕事が出来ないって有名ですよ。何だかイメージと違いませんか?」
“こいつに話すべきだろうか?”
杉浦は一瞬躊躇した。しかし、木下とて経理課の一員なのだ。いつかは知らなくてはいけない。
「……あの人な、社長の隠し子なんだよ。社長はワンマンだが自分の身内には甘くてな。何をしようとお咎めなしだ。それを良い事に真下主任は会社の金で遊びたい放題してるって訳だ」
驚きのあまり、木下はひょっとこのような顔になっていた。
「あっ、だからあの人のあだ名は『王子様』なんですか」
「まぁ、知ってる社員も多いからな・・・」
「なるほど、秘密の子だから秘密兵器ですか?」
「いや、少し違う」
杉浦は目の前のぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。さすがに口の中が乾いてきた。
「『秘密兵器』の別の言い方、知ってるか?」
「ええっと・・・切り札とか、最終兵器とか・・・」
考え込んだ木下が黙ってしまうと、杉浦は傍にあったアンケート用紙を取り、備え付けの鉛筆で裏に何かを書いて木下の目の前に差し出した。
「こんな言葉を聞いた事ないか?」
木下が書かれた文字に素早く目を走らせた。
「『伝家の宝刀』ですか?」
「そうだ。そして、我が社の王子様は会社の金で遊びまわってやがる。つまり・・・」
言いながら、杉浦はもう一行書き足した。
「殿下の放蕩だ」

ショート小説「ヒミツの秘密兵器」」への2件のフィードバック

  1. アイキャッチ画像を設定しました。勝手な真似をして、すみません。お気にめさなければ、画像削除していただいてかまいません

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