小説『やすちゃん③』にゃんく

やすちゃん

 

にゃんく

 

 

 小学六年生くらいになると、ぼくたちは毎日のようにゲームセンターに通うようになっていた。
 やすちゃんが母親の財布から盗んだお金で遊ぶのである。
 ぼくはほとんどお金をもっていなかったから、本来ならやすちゃんがプレイするのを見ていることしかできないわけだけれど、太っ腹なやすちゃんはくすねてきた金をぼくに惜しげもなく分けあたえた。
 エイリアンを撃ち殺すシューティングゲームなどはふたりで息をあわせ、何度もエンディングの映像を引きだし、よろこびを分かちあった。
 けれどもシューティングゲームに飽きると、一時期やすちゃんは難しいゲームにひとりで没頭するようになった。ぼくにはそのゲームの何処がおもしろいのかよくわからず(主人公が何処かの部屋のなかを逃げまわるゲームだったように記憶している)、ぼくはそのゲームのなかでどのような立ち居振る舞いをすればよいのか理解していなかったため、敵から攻撃をうけてゲームを開始してから平均して二十秒くらいで投入した百円があっけなく消失していた。
 ぼくはゲームオーバーになるたびやすちゃんが平らなゲーム機のうえに広げていた何枚かの百円硬貨から一枚を拝借してどんどん投入していたのだが、ぼくがあまりにもすぐにゲームオーバーになり、まるで贅沢三昧のマリーアントワネットのようにたいせつな金を浪費するため、さすがにやすちゃんからストップをかけられたことがあった。
 彼が母親の財布からお金を盗むのも母親に何やら感づかれているらしく、詰問されることもたびたびあったのである。ぼくはやすちゃんが母親から命がけで盗んできた金を、湯水のように浪費していた自分を反省した。
 そんなこともあったが、やすちゃんがぼくにストップをかけたのも一度きりの話で、だいたいにおいてやすちゃんは太っ腹だった。
 ゲーセンで遊びきれなかったお金を、やすちゃんがぼくに呉れることもあった。けれどぼくもそれを家に持って帰ることができなかったので、学校の校庭の、隅の木の根元の草っぱらに隠しておいた。何日かしてその隠した金を取りに行ったけれど、誰かが持ち去ったのか既になくなっていた。
 当時は意識していなかったけれど、親のさいふから金を盗むやすちゃんも悪かったが、それを知っていながらやすちゃんから遊ぶ金を恵んでもらっていた自分も、言ってみれば同じ穴の狢(むじな)だった。
 やすちゃんとは悪さばかりしていたわけではないけれど、やすちゃんのことを回想するたび思いだされるのは、おとなたちからすれば眉をひそめさせるような出来事ばかりだった。教育委員会みたいなひとたちには顔を真っ赤にして怒られそうだけれど、このような悪行のひとつひとつも、子どもが大人になるための通過儀礼のようなものとして多かれすくなかれ必要なものではあるまいか。もちろんいつまでもこのような行いばかりをつづけるようであれば問題であるが、ある時点で改心し行いを改めるのであれば、それはそれで人間として成長した証しになるのではあるまいか。
 今だってぼくはもしかしたら、ある人から見れば悪ガキのままかもしれないし、極論、悪ガキのまま成長してしまったおとななのかもしれない。いずれにしても、誰が何と言ってもやすちゃんはぼくのはじめてできた大切な友達であることだけはたしかだった。

 

 中学校にはいるとやすちゃんとぼくは別々のクラスになってしまった。小学校では一年からずっと一緒のクラスで、あれだけ仲良くしていたのだから、中学校に移行するにあたり、小学校の教師から中学校の教師に、「津田と寺川は親友だから同じクラスにしてやってください」などという引き継ぎのようなものが、何故なされなかったのだろうとぼくは訝しく思ったほどだった。
 ぼくの通っていた中学校は、ふたつの小学校がひとつに合流していた。知らない生徒が半数加わっていたわけだけれど、見知った生徒ものこり半分は在籍していたから、新しい環境に身をおいているとはいっても、そこまでの心細さは感じないでもすむはずだった。
 けれど中学生活がはじまった当初、ぼくはかなりの戸惑いを感じていた。精神的に疲弊もしていたらしい、それというのも夏休みにはいるくらいまでは、頻繁に原因不明の発熱に見まわれたり、登校時間の直前になると申しあわせたように腹痛に襲われたりした。何もかも、やすちゃんがいないせいだった。やすちゃんひとりがいないだけで、クラスの雰囲気は、まるでまったく別の学校に転校してしまったかのような錯覚を起こさせるほどの変わりように思えた。休み時間になると、ぼくは廊下を歩いて、幾つか教室をあいだに挟んだ、やすちゃんのいるクラスまではるばる会いに行った。やすちゃんは以前の小学校のメンバーに囲まれていつも笑顔で何か話しあっていた。ぼくをどうしてやすちゃんと同じクラスにしてくれなかったのかと、ぼくの意見を聞かずに勝手にクラス編成をした学校の教師たちを妬ましく思ったりした。

 

 やすちゃんとぼくはテニス部に入部したから、放課後はまた以前のように顔をあわせることができた。ぼくは放課後やすちゃんの顔を見ると、はじめて彼が家に遊びに来てくれた日のように、この上なくうれしそうな顔をしていたにちがいない。
 ところがやすちゃんはあまりクラブ活動に熱心ではなかった。
 校内の敷地を一周するランニングも、途中でさぼってズルをしたり、練習も休みがちだったけれど、出てきたとしても真面目に訓練せずにお喋りすることのほうが多かったかもしれない。放課後やすちゃんがやって来ると、いつも小難しいことを言ってばかりの、ひとつ上の先輩に対し、ぼくたちは「ジャガジャガ」と呼ばわって陰に陽に馬鹿にしていた(その人の頭のかたちとそれを覆った薄い頭髪は、ほんとにジャガイモみたいにデコボコだったのだ)。
 けれどとうとう二年の中頃にはやすちゃんは不良たちと行動をともにするようになり、クラブ活動に来なくなってしまった。
 ぼくはそれでもテニスを続けていたけれど、やすちゃんと先輩をからかったりしたせいで、その先輩が三年生に進級しキャプテンになると、ぼくの番が廻ってきても順番通りにコートで打たせてもらえなかったりなど、いろいろと仕かえしをされた。じゃがいもキャプテンが顧問の先生にあることないこと告げ口をするおかげで、試合ではほとんど負けなかったのに、どう客観的に観察しても、ぼくは顧問の先生から他の生徒に比べて粗略に扱われるという不公平な待遇をうけた。じゃがいも先輩の嫌がらせに遭いながらも、やすちゃん不在でも、部員の多かったテニス部で、それでもぼくはなんとか補欠に転落せずにレギュラーの座を維持していた。
 この頃やすちゃんが好んで読んでいたのは、『ろくでなしBLUES』というジャンプコミックだった。その漫画に登場する不良学生たちとそっくり同じ格好の、改造した学ランを着用して、授業もろくにうけずに姿をくらましていたやすちゃんたちは、タバコを吸ったり、他校の生徒たちと闘争したりしていた。それを証明するかのように、部活中にいちど、金属バットを振りまわす、他校の危ない学生たちが突如校門にあらわれ、門をバットできんきん叩きながら何事かを喚き、うちの中学に攻めこんできたことがあった。不良学生たちがバットを手に手に、おめきながら数人ひろがって校庭に雪崩れこんでくる。クラブ活動中の、サッカー部や野球部やテニス部や体操部の学生たちはその光景を目にし、恐怖にかられ、悲鳴をあげ皆いちもくさんに校舎に駆けこんでいく。正気の沙汰ではなかった。ぼくも走って逃げた。

 

 やすちゃんが<ヒラメ>とつきあっているという噂を小耳に挟んだのは、彼がクラブ活動をやめてから三ヶ月ほどしてからのことだった。
 ぼくはその話をクラスメートの誰からか耳にして、畏敬の念をもってやすちゃんのことを思わずにはいられなかった。
 当時はその年頃で異性と交際している生徒はほとんどいなかったと思う(統計をとったわけではないからわからないけれど、今だって似たようなものかもしれない)。
 ぼくにはまだ、異性と交際するような心身の準備というものができていなかった。交際と言われても何をしていいのかわからなかったし、だいいち休みの日も朝から夕方までクラブ活動に明け暮れており、遊んでいる暇などほんとうになかった。それでいて、大事なお姫様を奪われた、やすちゃんに先を越されたというジェラシーの念だけは一人前に感じてもいた。
 いくばくもなく、その噂を裏づけるように、クラブ活動をおえてラケットのケースを肩にかけながら帰宅する途中のぼくは、ヒラメと並んで楠根川沿いを歩くやすちゃんの姿を見かけた。
 すれ違うとき、ふたりが何を話しているのかぼくには聞こえなかったけれど、やすちゃんが何かおもしろいことを口にしたのだろう、ヒラメが吹きだして笑っているのが印象的だった。
 やすちゃんはぼくを見て、挨拶をしなかった。ぼくもやすちゃんに声をかけなかった。やすちゃんはただ、ぼくを全く知らない人間を見るかのように背筋をのばし、異性とならんで歩くことが当たりまえであるかのように超然としていた。
 その後、何かの折にやすちゃんとふたりで話すことがあり、必然的にヒラメの話になった。
 やすちゃんはヒラメの軀に触ろうとして、「泣かれた」と言っていた。その話を聞いて、ぼくはただ笑うことしかできなかった。自分がやすちゃんの立場だったらと置き換えて考えることすらできなかった。異性と交際することだけでも未知のことなのに、その異性に手をだして泣かれているやすちゃんは、ぼくの遥か先を走っていた。

 

 やすちゃんとぼくは別々の高校に通うことになった。
 ぼくの通っていた高校は私服で通学してよかったが、やすちゃんの高校は制服着用が義務づけられていた。ぼくにしてみれば、それはむしろ逆でもよいくらいだった。何故ならぼくはそんなにたくさん服をもっていなかったし、制服のほうが選ぶ手間が省けて楽なような気がした。やすちゃんの方がオシャレな服をたくさん持っていそうだった。中学のときと同じようにきっとやすちゃんは制服を改造してみんなと違うふうにして着ているのだろうと思った。
 それぞれ通う高校は異なっていたけれど、ぼくは時々やすちゃんと(時にはオーマもいれて)遊んだ。一時期さんにんでバンドをやろうという話になった。ぼくは五歳のころから十年間ピアノを習っていたから、キーボードを担当し、ボーカルはやすちゃん、オーマはとりあえずドラムということになった。ギターがいなかったが、それはやすちゃんが今から練習してボーカルと兼ねるという。少々無理のある計画のような気もしたけれど、書店でWANDS(ワンズ)などの楽曲のスコアを購入し、駅前の有料スタジオを借りて練習したりした。結果は散々だった。ボーカルはピアノの旋律を無視して先走って唄うし、ドラムは猿がどんちゃん騒ぎを起こしているかのようだった。やすちゃんは真面目に英語の勉強をしていなかったから、英単語の発音がでたらめで、tonight(トゥナイト) と発音しなければならないところを、ツナイトと歌った。ぼくが何度、「ツナイトじゃないよ、やすちゃん。トゥナイトやで」と指摘しても、やすちゃんは「わかった」と答える割には、そこの部分になると必ず「ツナイト」と発音した。そういうことを何度も繰りかえした。まったくもって匙を投げざるをえなかった。バンドは自然解散した。ぼくたちはまたゲーセンに行ったり、やすちゃんの原付バイクに引っ張られるかたちで街を走りまわった。(ぼくは自転車しか持っていなかった。何度も原付バイクを買いたいと親に言ったが、親は許可してくれなかった。バイクを持っていないのはぼくだけだった。仕方ないから、バイクに跨ったやすちゃんが、ぼくの手を引っ張ったり自転車のハブに足をかけたりしてぼくをおそろしいスピードで牽引した)。
 やすちゃんは二年生になると学校を中退し、土方をはじめた。駅前のマクドナルドで偶然やすちゃんを見かけたことがある。やすちゃんは紫色のバンダナをあたまに巻き、土方といっても汚い感じはまったく受けず、オシャレで鯔背な若い衆といった感じだった。
 その後やすちゃんは居酒屋のアルバイトをやったり、しごとに行かずに親の脛をかじったりしていた。やすちゃんを見ているとこちらが彼の将来について不安を感じずにはいられなかったけれど、やすちゃん本人はそんなことは全然歯牙にもかけていないふうだった。やすちゃんはいつだって自由だった。自分の生きたいように生きていた。人からどう批判されようと、お構いなしだった。そんな生き方はぼくはこわくてできなかった。だからこそ自分とはちがうものを持っているやすちゃんにぼくは憧れるところがあった。

 

 

 

つづく

 

 

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執筆者紹介

 

にゃんく

にゃんころがりmagazine編集長。
X JAPANのファン。カレーも大好き。
美術刀『へし切り長谷部』を入手し、最近ご機嫌な30代。

 

 

 

 

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