小説『やすちゃん⑤』にゃんく

 

やすちゃん⑤

 

 

にゃんく

 

 ぼくはやすちゃんに泣きつき、おんなの子を紹介してもらうため、飲み会を開いてもらった。
 そして、その飲み会で知りあった同(おな)い歳の子と会って、ふたりきりのデートにまで漕ぎつけた。なんとなくお行儀のよい雰囲気を身にまとった、ちいさなかわいらしい感じの子だった。彼女の父親の職業を聞いてみると、警察官ということだった。その子の醸しだす、ちゃらちゃらしていない、お行儀のよさというようなものが理解できる気がした。なんとかしてぼくは彼女の好感を得たいと考えた。
 一回めと二回めのデートは無難にすぎた。
 二ヶ月めにはいった、三回めのデートで、ぼくたちは繁華街の居酒屋に足をはこんだ。
 しばらくしていい案配に酔いがまわってきた。このほろ酔い加減と同じように、ぼくと警官のむすめである『彼女』も、交際という、ぼくにとってははじめての目的地にまもなくゴールインしようとしているのだと思われた。いい感じだった。
 しかし会話が途ぎれたとき、ぼくは出しぬけに彼女から、
「ねえ、誰かの物まねしてよ」
 とせがまれた。けれど生憎ぼくはそんな芸は持ちあわせていなかった。ぼくは静かに話すのが好きだった。なんでテレビに出演しているような誰か他人の物まねなんてしなければならぬのか。まったく理解できなかった。そんなことをして何になるのか。ぼくはそこまで言わなかったけれど、できないというぼくの短すぎる答えに、彼女は退屈だと不平を言いだした。
 ぼくはまた『かぐや姫』の物語を思いだした。これも彼女があたえる一種の試練なのではあるまいか。そう考えると、その試練は何とかして乗り越えねばならぬものと思われた。すでに第一関門である「物まね」でぼくは失敗していた。これ以上の失敗はゆるされなかった。そしてぼくのまえに第二関門が待ちうけていた。
「何かおもしろい話をして」
 物まねができないとわかると、次に彼女はそんなことを言いだしたのである。ことさらにおもしろい話をしてとねだられても、当惑せざるをえなかった。しかしこれは試練なのである。ぼくがここで彼女の意に沿うようなおもしろい話ができないと、ぼくは捨てられ、彼女は月に帰ってしまうのである。そこでぼくは脳みそに汗をかきながら、一生懸命話をした。そのあいだじゅう、彼女は笑っているような笑っていないような微妙な顔つきをしていた。おもしろい話をしてと催促されて、とっておきの話をすぐに披露できる人はなかなかいないのではないだろうか。けれどもぼくはない頭をひねって頑張った。
 しばらくして彼女がまた口をひらいた。
「今まで付きあった子、なんにんいる?」
 どうやら第二関門は突破できたようである。ぼくはほっとして、思わず、
「おらんよ」
 と答えた。
「え?」と彼女はあきれたような声をだした。「ひとりも?」
 ぼくは何か場違いな発言をしてしまったような気がしながらも、頷いた。じゃあ、何人? とぼくが彼女に訊ねると、
「十人」
 とこたえた。ぼくは何となく自分がちっぽけな存在のように思えた。ぼくは十九歳で、大学二年生だった。彼女も条件は同じである筈だった。なのにぼくはまだひとりも付きあったことがなくて、彼女はすでに十人も経験しているのである。まるで五歳のこどもが、プロボクサー相手に勝ち目のない試合を挑んでいるような途方もない無力感のようなものがぼくを捉えていた。
 四回めのデートはなかった。その日以降いくら電話してもメールしても彼女は返事をくれなくなった。
 このときの質問も、あとから考えるに三つめの関門だったのかもしれない。ぼくは彼女の試験をうまくクリアすることができなかったのだろう。『彼女』はまたしても月に帰って行った。

 

 また、しばらく時が経ち、同じ語学の教室を受講していた女生徒といい感じになりそうになったことがあった。いつも傍らによると石鹸の匂いがただよっている、きれいな子だった。けれど、ぼくたちの「いい感じ」な様子を見ていたのかわからないけれど、横あいから同じ教室の、背の高い男子生徒がにょっきと現れて、横取りされた(横取りというほどには、まだ交際はしていなかったけれど)。その女生徒も、「いい感じ」になっていた筈なのに、横あいからあらわれた男子生徒に目移りしたのか、ぼくのほうにはしれっと見むきもしなくなった。『彼女』はこんどは克服しがいのある難題を、用意すらしてくれなかった。『彼女』は月に帰って行った。

 

 一九歳。そんなふうにして、ぼくはふられつづけていた。いったいこの先なんど課題を克服すれば『彼女』を手にすることができるのだろう。まるで長大なレースのような到達点の見えない果てしなさをまえに、ぼくは意気阻喪しかけていた。ふられた人数にしたら三、四人だったろうけれど、そのときのぼくにしてみたら、それは全世界の女性に拒絶されたのと同じことのように思えていた。ぼくには一生彼女もできないし結婚もできないのではないかという気がして仕方なかった。
 そんなぼくを見かねてやすちゃんが風俗に連れて行った。難波駅から歩いて五分ほどのところにある、白く濁った薄っぺらい壁に囲まれた狭い店で、知らない人が見たらきっと何の店だかわからなかっただろう。
 受付で何枚か並べられた写真のなかから好きな子を選ぶ。やすちゃんは何回か来たことがあるらしく、ぼくが時間をかけて選んだあと、どれでもいいように一枚を選んでいた。
 こんなところがあるなんて、知らなかった。順番が来て、小部屋に案内されたぼくはどうしていいかわからずに、狭いベッドのうえの、二十六歳(写真にはそう記載されていた)の風俗嬢の隣に腰掛け、ただお喋りをしていた。時間は刻々と過ぎていった。お喋りだけで三十分という短い夢のような時間がおわってしまいそうだった。三十分のあいだに服を脱いだり着たり、シャワーを浴びたり体を洗ったり、あんなこともこんなこともしなければならぬのである。おんなはなかなか服を脱ごうとしなかった。ぼくが黙ると、おんなはやっと服を脱ぎはじめた。はじめておんなの裸を目のまえで見て、目から鱗がおちるような気がした。いや、はじめてというと語弊がある。五歳くらいのころ、母親に連れられて風呂屋でおんなの人の裸をなんどか目にしていたはずである。でもそのとき見た裸と、今まさに事がおこなわれようとしているときに目にしている裸とは同じものとは思えなかった。

 

 やすちゃんは風俗でぼくに度胸をつけさせたあと、また飲み会をひらいてくれた。
 その飲み会で知りあいになった、ひとつ歳下のおんなの子とぼくはデートをすることになった。こんどの子は、十人も二十人も交際経験があるような強者ではなかった。ぼくと同じ、まったくひとりも付きあったことがない、アニメやゲームが好きという、うぶなおんなの子であった。またとない巡りあわせのように思えた。経験のないおとこは惨めなだけだが、経験のないおんなはその純真さで、ぼくのまえに汚れのない宝物のように燦然と赫(かがや)いていた。このチャンスを逃すまいぞ。これを逃すと、ほんとうにぼくは永久に『彼女と付きあう』ことができないのではないかと思われた。
 そして知りあってから三ヶ月、デートは六回めに及んでいた。けれども傍目にはぼくたちのあいだには何の進展もないように見えた。時々水族館に行ったり映画を観に行ったり、大阪城に桜を見物に行ったり、ご飯を食べに行ったりした。けれどもそれだけだった。手さえ繋いだことがなかった。『彼女』は何の難題も提出してこなかった。それがぼくを逆に不安な気持ちにさせた。難題が提出されれば、それを乗り越えさえすれば『彼女』に辿り着ける。しかしそれが提出されないのだから、ぼくはどうしていいのかわからなかった。ぼくたちは付きあっているのかいないのか、それすらよくわからない状態だった。
 ぼくは電話でやすちゃんに相談した。
「彼女が難題を出してこえへんねん」
 やすちゃんは頭の狂った者の譫言に耳を傾けるように、しばらく黙っていた。
「難題?」ぼくが竹取物語の話をすると、やすちゃんはそれを一笑にふした。「難題なんか出される前に、やってしまえばええねん」
 やすちゃんによると、おんなはやってさえしまえば、どんなに自分に気がなくても、そのおとこのことをやがて好きになるというのだ。
「そうは言うけどな」
 と腰のひけたこたえをするぼくに、やすちゃんは自前の乱暴な理論を述べたてた。
「ラブホテルに連れこんでな」
 やすちゃんは力説した。
「どうやって?」
 とぼくは眉をひそめて言った。
「休憩しようとか、理由は何でもええねん」とやすちゃんは言った。「その子、ゲームとか好きなんやろ? ホテルには無料でゲーム機を貸し出してくれるところもあるよ。だから、ゲームするためにホテル行こうって言えばええよ」
 ぼくたちはしばらく黙った。
「だいじょうぶかな?」
 ぼくの煮えきらないこたえに、
「てーちゃん、彼女ほしくないん?」
 とやすちゃんが言った。
「それは、ほしいで」
「ほんだら、そこは勇気だして言わんと。一生彼女できひんで。それでもええの?」
 電話機からノイズのような雑音が聴こえた。
「……わかった」
 ぼくはやすちゃんの説に屈した。
「エッチなこととか絶対せえへんから、って前置きして、それからホテルへ連れ込んで、押し倒すねんで。わかった?」
 ぼくはごほんと咳払いをした。
「でも、それって犯罪にならへんかな?」
「ならへんならへん」とやすちゃんは即答した。「ホテルに行く時点で、合意があるねんから。嫌やったら行かへんよ。古典的手法よ、これ」
 電話機越しに、やすちゃんの笑顔が見えるような気がした。「ぜったい成功するから。だいじょうぶ。自信もってな」

 

 そして次のデートの日がやって来た。ぼくにとっては、桶狭間の奇襲作戦に出かけるまえの織田信長と同じくらいの、決死のこころ持ちだった。ぼくはやすちゃんの言ったとおりのことを実行にうつそうとしていた。
 やがてあたりが夕闇につつまれだした。ぼくは彼女をホテルに誘いださねばならなかった。
 しばらく当てもなく繁華街をうろついていたけれど、ぼくはそのタイミングを逃しつづけていた。ふたりともいい加減歩き疲れていた。それなのに、容易にはそのセリフは出てこなかった。それはひどく発音が難しいセリフのように思えた。けれども言おうと思えば園児にでも言える。ねえ、ホテルに行かない?ただそれだけでいいのだ。ぼくは唾を飲み込んだ。そして震える声で彼女に言った。
「ちょっと疲れたから、ホテルに行かない?」
 彼女は黙っていた。そしていったいどうしたのかといわんばかりにぼくの顔を見つめていた。
「エッチなこととかしようって考えているんじゃなくて、ほら、ホテルに行くとゲーム機を貸してくれるから、自分たちで好きなゲームをゆっくりできるかなって思って」
 ぼくはしどろもどろに彼女に説明した。やっぱり彼女は黙っていた。実は彼女はぼくの邪悪な魂胆を千里眼のように正確に見抜いていて、こんな人とはまともな人生を歩むことができないわ、このまま帰ってしまおうなどと考えているのかもしれないとぼくは怖れた。そして一瞬やすちゃんを恨む気持ちになった。やはりこのようなことは言うべきでなかったのだ。
 しかしすこしして彼女は「うん」と頷いていた。唖然として路上に立ちどまっているぼくに対し、どちらに歩むべきか促してほしいような顔つきをしている。ぼくは彼女の反応が意外すぎてそれが肯定の返事だとしばらく理解できないでいた。
 ぼくは慌てたすえにようやく、「こっち」と言って彼女を誘導しホテル街に向かって歩きだした。

 

 ホテルの受付で彼女はゲームのタイトルを選んだ。そして部屋に入室すると、
「わあ、きれい」
 と言った。彼女もぼくもラブホテルというものに入るのははじめてなのであった。壁には海を思わせる絵が描かれていた。窓こそなけれど、そこはぴかぴかの部屋だった。そしてふたりだけの部屋だった。此処で二時間という時間制限はあれど、そのあいだぼくはまさに王子様(プリンス)に変身できるのだ。そしてもちろん彼女がお姫様(プリンセス)だ。
 彼女がゲームをセッティングしようとしている。ぼくはふわふわのベッドに腰掛けてその弾力を彼女に伝えようと、わざとらしく我が身を上下に弾ませていた。けれども彼女はベッドのふかふかには興味がないみたいに背をむけ続けていた。ここで彼女にゲームをさせては、二時間という黄金の時間が、あっという間に過ぎてしまうのではないか。いったんゲームに夢中になりだすと、それを妨害することは難しくなるだろう。やはり彼女にゲームをさせてはならない。ぼくはテレビの電源をつけた彼女の背後からそっと近づき、強く抱きしめた、というより、抱きついた、というより、羽がいじめにした。彼女はいったい何事が起こったのかというふうに身をこわばらせて、顔を斜めうしろへ傾けた。恐怖に引き攣った目をいっぱいに見ひらいていた。ぼくはさらに彼女をベッドまで押していき、そこへ後ろ向きに倒した。彼女は助けを求めるかのような甲高い悲鳴をあげた。「きゃあっ」
 ぼくは彼女にぴったり覆いかぶさりながら、
「おねがい」
 と獣の声で言った、というより、脅した、というより、凄んだ。
「?」
 彼女は何をお願いするのかというような顔をしてぼくを見ていた。
「おねがい」
 ともう一度ぼくは囁いた。全然お願いしているような口調ではなかった。それは半分命令のようでもあるし、半分哀願のようでもあった。ようするに、ぼくは半分狂っていたのだ。そしてぼくがやっていることは、半分狂ってしまわなければできないたぐいの行動であった。「じっとしてて」
 彼女は驚いていたが、ようやくぼくが何をやろうとしているのか理解したみたいだった。部屋の照明をおとし(明るい場所では恥ずかしくてとても無理だった)、彼女の服を脱がしていった。変なふうに力をこめてしまったため、下着がびりっと破けた音をたてた。失敗したと思った。すべてがぎこちなく、途中ですべてを放りだして逃げだしたいくらいだった。でもこんなところで中止するわけにはいかなかった。そしてようやく彼女の服をぜんぶ脱がせた。ベッドについたぼくの片手ががたがたと震えていた。みっともなかった。まるでこれじゃあ今から人殺しでも行われようとしているみたいじゃないか。

 

 居間のテーブルをはさんだ隣の席で、妻が喉にサカナの骨が刺さったと言って大騒ぎしている。
 また来ましたか。ぼくは小指切り事件もあったことから、正直身構えないわけにはいかなかった。だいいち食道にサカナの骨なんて刺さることがあるのだろうか。
「大丈夫、大丈夫、ご飯呑みこめばとれるから」
 とぼくが子どもを諭すようなことを言って慰めると、妻はぼくが労るように差しだした掌を、軀をのけぞるようにして避けながら、
「刺さったことないから、そんなこと言えるんだわ!」
 とますます取り乱したように言う。
 それから妻はインターネットでサカナの骨が喉に刺さった人の症例などを熱心に調べていた。たぶん妻は、骨が食道を突きやぶり最終的には心の臓にまで到達するのではないかと怖れているのだ。それから何時間か、妻はまるで自分がこれからじわじわと死んでゆく者であるかのように、絶望的・破滅的な態度・言動をとっていた。
 でも、翌日になると妻は何ともなかったようにけろっとしていた。骨はどうなったか訊いてみると、
「うん、自然に取れたみたい」
 と妻は事もなげに言った。あれだけ騒いでいたのが何だったのかと思わせる変貌ぶりである。ぼくは半分その豹変を問いただしてみたくもあったが、それを声に出してはいわなかった。無用なトラブルを避けるためである。
 ぼくが罪におののきながら押したおした女の子も、今では三十歳になっていた。
 ぼくたちはつまらないことでときどき激しく喧嘩をした。そしてとてつもない時間をかけお互いおそろしいほどに消耗をしつつも、最終的には仲なおりをした(してきた。今のところは)。そのようにしてまあ一応、そのお互いの関係を高めあってきた、といえるかもしれない。

 

 

つづく

 

 

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執筆者紹介

にゃんく

にゃんころがりmagazine編集長。
X JAPANのファン。カレーも大好き。

 

 

 

 

 

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