ショート小説「かけっこチャンピオン」

「かけっこチャンピオン」

 坂野小学校の運動会のメインイベントと言えば、何と言っても全員参加の千m走である。
一位になった生徒は皆から「かけっこチャンピオン」と呼ばれ、他の生徒達から一目置かれるようになる。子供達にとって、その称号を勝ち取るのは何よりも名誉な事だった
 しかし、今年の千m走に限っては生徒や教師、応援に来ていた父兄達の心はどんよりと曇っていた。皆の視線の先には、他の生徒達から大きく引き離され足を引きずりながら走る佐藤琢磨の姿があった。
 そして、ひときわ険しい表情で琢磨を見ているのが四年生の担任、上田だった。
 
「お前たち全員、今度の運動会でズルをしようとしているそうだな」
1週間前のホームルームでその言葉が出た途端、クラス中に緊張が走った。橋本達也は思わず立ち上がった。
「僕達、先生が思っているような事はしようとしてません!」
「橋本か。何が違う?」
「やろうとしていたのは千m走の時だけです。それにズルって言っても、早くゴールするんじゃなくて、最後にみんなで同時にゴールしようって決めただけです!」
それが琢磨の為だと言う事は上田もよく知っていた。
琢磨は一年生の時から「かけっこチャンピオン」だった。そして、それはずっと変わらないと皆が信じ込んでいた。それは、琢磨が走る姿を見れば誰もが納得できる事だった。真っ直ぐ前だけを見つめ、後続を引き離してゴールに突っ込んでゆく姿は「チャンピオン」と言う他なかった。
 しかし、そんな不敗神話が崩れ去る日は突然やってきた。歩道に突っ込んできた居眠り運転の車が,下校途中だった琢磨をはね飛ばしたのだ。一命は取り留めたものの、琢磨の左足は殆ど動かなくなってしまった。それでも琢磨は諦める事無く、毎日ランニングを続けていた。その事を知った達也が
「何があっても、かけっこチャンピオンはタクちゃんだけだ。千m走はみんなで一緒にゴールしよう!」
と皆に呼びかけたのだ。
「運動会の徒競走で、最後はみんなでゴールしてる学校もあるって聞きました。何で僕達はダメなんですか?」
「・・・ゆとり教育の頃の話だな。残念だが方針は変わったんだ。それに、どんな理由があろうとワザと手を抜く事は許さん。分かったな?」
上田はクラス中をジロッと見渡してから教室を出た。

 そして結局、本番では誰も手を抜かなかった。琢磨も最後まで走り切り、周りからは拍手さえ起った。しかし、去年までの姿と比べると可哀相で見ていられないと言うのが皆の本音だった。
「本当にこれで良かったんでしょうか?」
四年二組の副担任、園部智子が心配そうに上田に話しかけてきた。
「園部先生、一位になった谷口の顔をみて何か気付きませんか?憧れのかけっこチャンピオンなのに全然嬉しそうではない」
「・・・確かにそうですね」
「谷口なんですよ。一緒にゴールする件を私に打ち明けてくれたのは」
「えっ?」
「実は、谷口もこっそり練習していたんです。こう言っては何ですが、佐伯があんな事になってチャンスだと思ったんでしょうね。ところが橋本の提案で努力が無駄になりそうになった。それで私に話して止めさせようとしたんです。でも、やっぱり後ろめたいんでしょう。可哀相に。」
「そうだったんですか・・・」
「橋本の行動は立派だと私も思いました。しかし、教師として佐伯や橋本の味方ばかりをする訳にもいかない。他にも谷口と同じ様な事を考えた生徒はいたでしょうから」
実は上田の対応に不満を抱いていた園部だったが、今はその事を恥じていた。
「誤魔化すのは本当の解決じゃない。自分が力を発揮できる場を見つける事の方が大事なんだと気付いてほしい。例え恨まれたとしても、思いを貫き通そうと私は決めたんです」
そう言いながら、上田はマイクのスイッチを入れた。
「突然ですが、お知らせがあります。今年から、最後の種目として二人三脚競走を追加します。皆さん準備してください!」
“これなら、動かない足はパートナーが動かしてくれる。頑張れ佐伯。来年も再来年もある。お前ならきっとなれるさ、二人三脚チャンピオン”
放送を聞いてすぐ、目を輝かせた達也が叫んだ。
「タクちゃん、一緒に走ろう!」
「ウン!」
達也が伸ばした手を琢磨がつかんだ。力強い握手だった。

その日初めて、生徒達の顔に生き生きとした表情が浮かび始めていた。

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