『寝ぐせのラビリンス⑦』山城窓

 

 

寝ぐせのラビリンス⑦

 

 

 

山城窓

 

 

 

 

 アパートの前に黒い軽自動車が停まっている。几帳面に道路の端ぎりぎりに。それに乗るように促され、堂村の開けたドアから僕は後部座席に乗り込む。堂村が運転席に座りドアを勢いよくバンと閉め、榎戸は助手席に音も立てずに座った。
 エンジンが掛かると音楽が流れ出した。聞いたことのない曲だが、聴き心地のいい曲だ。歌詞は……殆ど聞き取れない。が、時々「寝ぐせ」というフレーズが聞き取れる。
「これ歌ってるの寝ぐせの里の人なんですよ」と堂村が得意げに解説する。へーと僕は無意味に息を吐き出す。
 車がまっすぐな県道に入った辺りで堂村が前方を見つめたまま尋ねてくる。
「寝ぐせはいつごろからですか?」
「いつごろ?」
「その寝ぐせがついたのはいつごろですか?」
「……四日ぐらい前です」
「そうですか」
 会話は途切れる。榎戸は何かメモを取っている。なんとなく居心地が悪い。やはり行くべきじゃなかったんじゃないだろうか? そんな後悔が体内を泳ぐ。しかし寝ぐせをつけた男達を乗せた車はひたすら走り続ける。
「ちょっと訊いていいですか?」と僕は訊ねる。
「なんですか?」と堂村が答える。そう言えば榎戸は自分からは何も言わないな、と思いながら僕は訊く。
「案内状に『埼久北支部』って書いてたんですけど、“寝ぐせの里”っていうのは他にもあるってことですか?」
「もちろん」と堂村はどこか嬉しそうに言う。「全国にありますよ。“寝ぐせの里”は。だって寝ぐせに苦しむ人は全国にいるんですから」
「その辺がよくわからないんですけど、寝ぐせってのは一体なんなんですか?」
「…あなたの頭についているじゃないですか?」堂村が馬鹿にしたように言う。
「寝ぐせぐらいわかってます。そうじゃなくて……あなたたちのいう寝ぐせは普通の意味ではないですよね? つまり…僕の寝ぐせはどういうものなんですか?」
「どういうものっていわれてもね…」堂村が答えに窮す。
「悲しみに濡れたまま、それを乾かしもせず、ただ楽になるために横になってれば付くんですよ。その寝ぐせは」と榎戸が急に振り向いて堂々とした口調で説明した。僕が少し驚いていると、榎戸は急に恥ずかしそうに顔を伏せた。
 考える。寝ぐせのついた頭で寝ぐせについて考える。言い方は違うが、ユミカの言ってたことと重なる。
「僕には“心の寝ぐせ”が付いているってことですか?」試しに僕は訊ねる。
「わかってるじゃないですか?」堂村が応える。「そうですよ。そしてその心の寝ぐせが付いている人に、寝ぐせのつく呪いを掛けると実際の髪にも寝ぐせが付くんですよ。そういうふうに」
 これもユミカの言っていたことと同じだ。ユミカも寝ぐせの里と何らかの関わりを持っているんだろうか?
僕がぼんやりと頭を悩ませているうちに、車はいつのまにか見慣れない土地に踏み入っている。窓の外にはよく整備された団地が並んでいる。
「“寝ぐせの里”は近いんですか?」と僕はなんとなく訊ねる。
「近いというか…一応ここはもう寝ぐせの里ですよ」
「ここが?」改めて回りを見回す。じゃあこの団地は寝ぐせの里ということか? しかし…人の姿が見えない。団地のベランダには洗濯物が干してあるから人は確かに住んでいるのだろう。が、どこか生活感に欠けている。そういえばどの窓にもカーテンが見当たらない。公園では遊び方のわからない遊具が並ぶ。日が暮れかけているせいなのか、その公園にも誰もいない。小さなジャングルジムのような遊具が音も立てずゆっくりと回っている。誰かが遊んだ後の惰性で回り続けているようで、今にも止まりそうな回り方だが、僕の視界から消えるまで、それは止まらなかった。何かが失われている……そんなふうに思える街並みだ。でも何が失われているのかがわからない。強いていうなら…失われているのは摩擦だろうか。摩擦がない分、熱も感じられない。そういう感じだ。
 そんな光景を見やりながら僕は頭の中を整理しようと試みる。咲子の件で僕の心に寝ぐせが付いた。そして呪いを掛けられて、その心の寝ぐせが具現化し実際の髪に寝ぐせが付いてしまった。それを直すためには咲子のことについて気持ちに整理をつけないといけない。しかしこの“寝ぐせの里”はこうした寝ぐせの付いた者を救ってくれるという。それは咲子とのことを解決してくれるっていうことなのだろうか? それとも他の手段でこの頭の寝ぐせを直してくれるということだろうか? 
「もしかして」思い当たって僕は訊ねた。「呪いの解き方をあなたたちは知っているんですか?」
「呪いの解き方? 知りませんよ。そんなものないんじゃないかな?」と堂村は答えた。
 榎戸の顔をうかがってみる。彼も肯いている。榎戸も知らないようだ。じゃあ、どうやって寝ぐせの付いた人を救うんだろう? 
「着きました」と堂村が不意に言い、車は駐車場に入る。十台ぐらいが停めれそうな駐車場だ。しかし今は他に一台も車は無い。
 車を降りると、涼しい風が通り過ぎた。太陽はすっかり沈んだようで淡い闇が空間を満たしている。
「あれです」と堂村が指差す先にはポットをそのまま大きくしたような三階建ての建物がそびえている。「あれが説明会の会場です」
「どうしてあんな形なんですか?」
「その質問には答えられません」
「何故?」
「私はまだ答え方を教わっていないんで」
堂村がはにかみながら言う。榎戸の顔をうかがうと、彼は何か言いたそうにしている。たぶん彼はちゃんと答えられるのだろう。でも遠慮しているのだろう。そういう感じの表情だ。
「行きましょう」と堂村が取り繕うように促す。仕方なく榎戸も僕もそれに従う。
 ロビーはホテルのそれのように綺麗だ。そして無駄なものがない。何らかの受付らしきカウンターがあるがそこには誰もいない。堂村に続いて階段を上がると殺風景な廊下が続く。廊下を少しだけ歩くと右側に「説明会会場」という紙の貼られたドアがある。堂村はそこに入る。榎戸もそれに続き、無言で僕も部屋に入るように誘う。部屋の中は学校の教室ぐらいの広さで、五人分ぐらいの長さのテーブルが八つあり、そこにばらばらにパイプ椅子が配置されている。
「適当に座ってください。今は一人しかいないんで、好きなところでいいです。あっ、でもできたら前の方がいいですね」
 僕は一番前の席に座る。榎戸が何も言わずに僕の前に冊子を置く。冊子には「寝ぐせの里のご案内」と書かれている。
「じゃ、早速はじめますか」と堂村が冊子を手にして僕の前に立つ。どうやら彼が説明をするようだ。だったらわざわざここまで来る必要はなかったんじゃないか?と僕は首を傾げるが、彼はそんな仕草は目に入らないようで、マイペースに冊子を開いて、それを読むように喋りだした。
「本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。……えっとこの辺は飛ばしたほうがいいな」と堂村は冊子のページをめくる。そして「四ページを開いてもらえますか?」と僕に訊く。僕は黙って四ページを開く。
「その上の写真があなたがたの住居となります」
 そこには、さっき見た団地の写真がある。しかし…住居?
「あの住居って…」と僕が訊ねようとすると、
「質問は後でまとめて聞きます」と堂村が返した。仕方なく僕は黙った。
「水道代や電気代は無料となっています。無料といっても月々の給料から差し引く形になっているということなんですけど…そうだ。先に仕事の話をしよう」彼はどうも説明の要領が悪い。しかし…仕事ってなんだ? 給料って?
「仕事はこちらで人と関わらずに済む仕事を多数用意しています。ハンバーグをずっと焼き続ける仕事やダンボールを折り続ける仕事や扇風機を組み立て続ける仕事や……まあそういうのです。簡単な何か一つを専門的にし続ける仕事なので、特別なことがない限りは人と関わる必要はありません。それに関わり合うことになったとしてもそれは同じ寝ぐせの付いた人なので安心です。中には寝ぐせの付いていない人と関わる仕事もありますが、その場合も電話でコミュニケーションを取ることになるので、相手に寝ぐせが知られる心配はありません。まあ、こうした仕事の中から、あなたがた…というかあなたには仕事を選んでもらうことになります」
「ちょっと待ってください」と僕は言った。
「質問は後でまとめて聞きます」と堂村はさっきと同じ答えを返した。
「でも、一つだけ確認したい」
「何ですか?」
「救われるには“寝ぐせの里”に住んで“寝ぐせの里”で働く必要があるということですか?」
「まあ…そうですね」
 別に現在のアパートにも仕事にもさほど執着があるわけじゃないが…いきなりそんなこと言われても困る。そうだ、寝ぐせのためにそこまでする気はない。
 堂村はその後もいろいろと説明をした。買い物はどこでできるとか夏には花火大会があるとか、そういうのだ。僕はそれを殆ど聞き流した。それほど悪い所ではないというのはわかるが、何かしっくりこない。ピースの足りないパズルをやっている感じだ。
「次に十二ページを開いてください」と堂村が言う。僕は一応その通りにする。「毎月第三土曜日には、この集会場で“寝ぐせ会”を開きます。まあ、会といってもみんなで集まってそれぞれ寝ぐせが付いた理由を話し合うだけなのですけども。しかしこれが大事なんです。寝ぐせの付いた理由を、例えば寝ぐせの付いていない人に話したら確実に馬鹿にされることでしょう。しかしここには寝ぐせの付いた人しかいません。だから皆ここでは安心してそれを話すことができる」
 少しだけ共感して僕は一度大きく肯いた。それに気付いたのか堂村は機嫌を良くして演説を続けた。「寝ぐせの付いた理由を話すたびにあなたは恐らく馬鹿にされてきたことでしょう。そしてその馬鹿にされるという体験が集積すると、自分は本当にくだらない人間だと思い込んでしまう。いえ、本当です。人間の脳はそういうふうにできているのです。そうして自分を追い込んでいってしまい、圧迫された精神がやがて社会に不健全な形で還元される。殺人、性犯罪、人身事故などです」
 よく見ると堂村の言っていることは殆ど冊子に書かれていることだ。
「逆にどんな些細な苦しみでも、それを話した時に誰にも馬鹿にされなければ…そしてその馬鹿にされないという体験を集積することができれば、精神は健全な形を取り戻し、それによって社会も良くなる、とこういうわけです」
 堂村は一つ大きく息を吐いた。一段落着いたようだ。彼は冊子を持った手を下げて、僕を朗らかな笑顔で見つめた。そして徐に言った。「どうですか? すばらしいところだとわかってもらえましたか?」
「まあ、はい」と僕は相変わらず曖昧に答えた。
「じゃ、ここに来てもらえますね?」
「いえ、すばらしいのはわかりましたけど…ここで住んで、ここで働く気はないです」
「どうして!?」堂村は大げさに驚いた。それほど驚くようなことを言ったつもりはないのだが。
「なんていうか、寝ぐせのためにそこまでする気はないんで…」
「その考え方が間違いだ!」と堂村は言い切った。「『寝ぐせぐらい』、『たかが寝ぐせ』と考えることですべての問題が処理されないまま蓄積するんです。そして人生が狂い、社会にも悪影響を及ぼす。そうでしょ?」
 脅すような口調に僕はたじろいだ。
「そうかもしれないですけど…それで仮にこの寝ぐせの里に住んだとして…」
「来てくれるんですね!!」と堂村が声を張り上げ僕の言葉を遮った。
「いや、そうじゃなくて仮にです。仮にここに住んだとしてどのくらいで寝ぐせは直るんですか?」
「は?」堂村は不思議そうに言った。
「いや、だからここでどのくらい暮らせば寝ぐせは直るんですか?」
「寝ぐせが直る? いや……寝ぐせは直りませんよ?」
「直らない?」
「誰が直るって言いました?」
「いや、だってここでは寝ぐせの付いた人が救われるんでしょう?」
「救われますよ」堂村は思い当たったのか言葉を継ぎ足した。「要するにここではですね。みんな寝ぐせが付いているんです。だからここに住めば寝ぐせが気にならなくなるんです。救われるというのはそういう意味です」
 僕はただがっかりした。そしてがっかりしてる自分に戸惑った。僕は“寝ぐせの里”に結構期待していたようだ。気を取り直すつもりで僕は言った。
「もう帰っていいですか?」
「まあ、はい。今日のところはそうですね。このぐらいでいいでしょう。でも大丈夫ですか? 何か気に障るようなことはありましたか?」
「いえ、別に」と僕は言った。「ここが悪いところじゃないのはわかりました。でも僕はここで暮らす前にやることがあるんで」

 

 

 

 

 

つづく!

 

 

 

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作者紹介

山城窓[L]

山城窓

1978年、大阪出身。男性。
第86回文学界新人賞最終候補
第41回文藝賞最終候補
第2回ダ・ヴィンチ文学賞最終候補
メフィスト賞の誌上座談会(メフィスト2009.VOL3)で応募作品が取り上げられる。
R-1ぐらんぷり2010 2回戦進出
小説作品に、『鏡痛の友人』『変性の”ハバエさん”』などがあります。

 

 

 

 

 

 

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