『寝ぐせのラビリンス⑧』山城窓

 

 

寝ぐせのラビリンス⑧

 

 

山城窓

 

 

 

 

 帰りも来た時と同じように、堂村と榎戸が車で送ってくれた。車内を流れている曲も同じだ。
「あなたはもしかしたら」堂村がハンドルを握ったまま一瞬振り返って言った。「なんだかんだ言っても、お金をむしり取られるかもしれないという不安があるんじゃないですか?」
「まあ、ちょっと…」我ながら不安そうな声で僕は答えた。
「たしかにね、月々の給料から引かれる金額というのはありますよ。でもそんなのはどっちみち同じことです。給料なんてものはね、どこにいたってそれなりに削られていく運命ですよ」
「まあ、そうですけど…」
 しばらく沈黙が車内を捉える。どちらかといえば居心地のいい沈黙だ。沈黙の奥に親密さが感じられるような…
「ところであなたの寝ぐせはどうして付いたんですか?」と堂村が不意に振り返る。
「別に…」と僕は言葉を濁した。
「女ですか?」と堂村はどこか芝居がかった口調で迫った。僕は肯いた。「結構多いんですよ。女がらみで寝ぐせが付くの。男の場合はね。女は割とあっさりと男の記憶を忘れることができるけどさ、男はそうじゃない」
「そうですね」と僕も同意した。
「その女のことを忘れられない?」
「…まあ、はい。一度は話し合いたいと思ってます。そうすればたぶん…」
「寝ぐせが直る?」
「僕にはわからないですけど、とりあえず試してみようとは思います」
「そう……」堂村は何かを考え直すように間を置いた。それから不意に続けた。「会えるの?」
「は?」
「その女と会えるの? そんな簡単に?」
「わかりません。隣町のデパートで働いているらしいんですけど…」
「そうですか…」と言って堂村はしばらく黙った。
アパートの前で堂村は車を停めようとした。しかしアパートのすぐ前には別の赤い車が停めてあったので、その手前に窮屈そうに停車した。僕は「それじゃ」と言って車を降りた。
「わかっていると思いますが」と堂村が言った。「私たちは諦めたわけじゃありません。また話をさせてもらいにきます。強要はしたくないんでね」
 僕は「失礼します」と言って車のドアを閉めた。自分の部屋に向かって歩きだした時に、停車していた赤い車のドアが開いた。清楚な感じの若い女性が降りてきた。白のワンピースの上にピンクのカーディガンを羽織っている。顔には見覚えがある。ユミカだ。
「どこ行ってたのよ?」ユミカは唐突に問い掛ける。「随分待ったわ」
「待った? どうして?」
「電話しても繋がらなかったのよ。だから社員名簿で住所を調べて、とりあえず来てみたんだけどいないし。待つしかないじゃないの、そんなの」彼女は機嫌を悪くしているようだ。しかし僕は何も悪くないだろうに。
「それで…何か用?」
「その前にどこ行ってたのよ? あなたは休みの日はずっと家にいるんじゃないの?」
「家の外に出ることぐらいあるよ、僕だって」
「買い物で?」
「いや、買い物以外でも、いろいろと…」
「いろいろって何? どこに行ってたのよ、今は?」
「どこって……“寝ぐせの里”」
「行ったの?」ユミカはどこか心配そうに僕の目を覗き込んだ。ユミカは…やはり寝ぐせの里のことを知っているようだ。
 ユミカは堂村たちの車に気付いた。そして威嚇的な目で睨み付けた。堂村もユミカを睨んでいるように見える。張り詰めた空気に僕は緊張した。助手席の榎戸は心なしか震えてユミカから目を逸らしている。やがて堂村はユミカを睨んだまま、後ずさるように車をバックさせて帰っていった。
「二度と行っちゃ駄目よ」とユミカが優しく僕に告げた。「行けば帰ってこれなくなるわ」
「よくわからないんだけどさ、君は寝ぐせの里のことを知っているの?」
「ええ。私も一回連れて行かれたのよ。寝ぐせの里にね」
「君も?」
「それより部屋に入れてくれない? こんなところで話すことじゃないわ」
「いいけど…」
 そう言って仕方なく僕は彼女を部屋に入れた。そう言えばこの部屋に女性を入れるのは初めてだ。
「男の人の部屋にしては随分キレイに片付いているのね?」ユミカが部屋を見回しながら言った。
「そういう性格なんだよ、僕は。君の方こそ…」僕は少し言い淀んだ。
「何?」彼女は腰を下ろしながら僕を見上げた。
「今日は随分とキレイじゃないか。っていうか女っぽく見える」
「いつもはスーツだからかしら?」
「そうかもしれない」と僕はまごつきながら言った。彼女の口からスーツという言葉が出るまで僕は彼女が普段どんな格好をしていたかが思い出せなかった。
「言ってくれるじゃない」と彼女は強い口調で言った。怒ったのだろうか? 喜んだのだろうか? どうも彼女の反応は時々微妙にずれている。
「それで」僕は気を取り直して言った。「君は寝ぐせの里とどういう関係があるんだろう?」
「その前に」とユミカが言った。「お茶ぐらい出してくれてもいいんじゃない?」
 言われて僕は仕方なくウーロン茶を出した。ユミカはそれを見て一度舌打ちした。ウーロン茶は嫌いなのだろうか? そんなことを気にしながら僕もユミカに向き合って座った。
「私も一度寝ぐせが付いたわけよ」ユミカが話し出した。「それでその時に来たのよ。さっきの二人が」
「さっきの二人?」
「堂村って人と何とかって人。あの二人に連れていかれたの、寝ぐせの里の集会場ってとこに。で、いろいろ話をしたの。そこで私は心の寝ぐせが付いた理由を話したわけ。そしたら寝ぐせが直っちゃったの。私の場合」
「それだけで?」
「そう。それで私は帰ったから、それほど知ってるわけじゃないのよ。寝ぐせの里に関して。その後、もう一回行ってはみたけど…」
「もう一回行ったの?」
「ただの好奇心でね。気になるじゃない、ああいう世間からズレてる組織って。まあ、でもあそこの人たちは寝ぐせの付いていない人に対してはすごく冷たいから、すぐに追い出されちゃったんだけどね」
「追い出された?」
「ええ。何か面倒臭そうに『もう帰ってくれ』って感じで。いろいろしつこく訊いたからね、私。まあ、どうにか寝ぐせが付く呪いの掛け方は聞き出したんだけど」そう言ってからユミカは僕と目を合わせて、どこか気まずそうに付け加えた。「そうね、せめて呪いの解き方まで聞くべきだったわね…」
「いいよ」と僕は気を使うように言った。「そんなものないらしいから。どうせ」
「ないの?」
「呪いの解き方なんかないみたいだよ。少なくともあの二人は知らなかった」
「そうなんだ」と彼女はホッとした様子で答えた。
「それで」僕は改めて訊ねた。「あそこには行かないほうがいいのかな? それほど害はなさそうだけどさ」
「あなたも今日行ってきたわけでしょ? そこで説明を聞いたわけでしょ?」
「聞いたけど?」
「じゃわかるでしょ? あんなところで暮らしてたら馴れ合いになっちゃって、本当にあそこでしか生きられなくなるわ」
「そうかな?」
「そうよ」
「でも君はあそこに行くことで寝ぐせが直ったわけだよね?」
「はっきり言って私の場合はあそこに行かなくても遅かれ早かれ直ってたわよ」
「そうかもしれないけど、やっぱり別に害はないってことじゃないか?」
「行きたいわけ? あなたは?」
「そうじゃないけど…」
「どうしたいのよ?」
「何が?」
「寝ぐせを直すのか直さないのか?」
「……直す」僕は叱られた子供のよう弱々しく答えた。
「じゃ、とにかく今は私の言うことを聞いたほうがいいわ」とユミカは貫禄たっぷりに言った。
「ところで」僕は気を取り直して言った。「君は今日は何しにきたんだろう? わざわざ僕の家まで?」
「話の続きをしに来たんじゃない。昨日は話せなかったから」
「話の続き? ああ、咲子のこと?」
「咲子っていうの? あなたの昔の彼女?」
「そうだけど…」僕は名前を出したことを少し後悔しながら肯いた。
「じゃ、まずはその咲子さんのことを話してくれない。もしかしたらあなたも話すだけで直るかもしれないわよ」
「つまり…そのことを話すだけで僕の気持ちが晴れれば寝ぐせは直るってこと?」
「そうじゃないの?」とユミカは無責任に言った。「それでどういうふうにふられたの?」
 …とにかく話してみるしかなさそうだ。
「ちょうど三年前」僕は思い出しながらゆっくりと切り出した。「咲子と南の島に遊びに行ったんだ。そこで、ちょっとした擦れ違いみたいなもので喧嘩になった。上手く意志が通じ合わなくて。それでちゃんと話し合えないまま、彼女は一人で帰ってしまった。そしてそれっきり連絡もつかない」
 こうやって話してみると随分と陳腐な話だ。そう思って自分にがっかりした。
「それで咲子さんに今も未練があるの?」
「あるよ、正直に言って」
「よりを戻したい?」
「そうでもない」
「どういうこと?」
「できたらやり直したい。でもそれは無理としか思えない。ただ、ちゃんと話したいんだよ。終わるんならちゃんと終わりたい。つまりはけりをつけたい」
「何それ?」と馬鹿にしたようにユミカは言った。
「何って?」
「あなたはそれを話したくなかったのよね?」
「そうだけど?」
「それのどこが話したくない話なの?」
「女々しいとか未練たらしいとか言われそうじゃないか? こんな話したら」
 ユミカは自分を納得させようとするようにふんふんと肯いた。そして乾いた声で「合点」と呟いた。合点?
「それでどんな感じなの?」
「何が?」
「話してみた感じ。寝ぐせは直りそう?」
「あんまり……」僕は自分の髪を撫でながら答えた。
「話すだけじゃ駄目みたいね、あなたの場合は」
「そうだね」と言って僕はうなだれた。話し方もよくなかったかもしれない。話すならもっと詳しく話さないと意味がないのかもしれない。
「明日だけど私予定ないのよ、夜までは」ユミカは唐突に言った。
「それが?」
「あなたも予定はないわよね?」決め付けるようにユミカは訊ねた。
「ないけど?」
「明日行きましょうよ。あなたの昔の彼女に会いに。そしてけりをつけましょう」
「けりをつける?」
「だってそうしないとあなたの気が済まないんでしょ?」
「そうかもしれないけど…明日?」
「早いほうがいいでしょ?」
「まあ、そうだけど。君も一緒に?」
「そのほうがいいわ。あなた一人じゃ何だかんだ言って会いに行かなさそうだもの」
「…そうだね」と僕は納得して肯いた。
「それで咲子さんの住所とかはわかるの?」
「わからないよ」
「連絡先は?」
「わからない」
「じゃあどうやって会えばいいの?」
「隣町の『ラザミ』っていうデパートで働いてるらしいから、そこに行けば会えるかもしれない」
「合点」とユミカは言った。合点というのはユミカの口癖の一つなのかもしれない。「じゃあ明日十四時に迎えに来るわね」
「わかった」
「それじゃとりあえず今日は帰るわ」
「帰るの?」僕はがっかりして言った。
「帰るけど? 何?」
「……それじゃ明日十四時だったね?」
「ええ」
 そうしてユミカは帰った。僕はそれを見送り鍵を閉めた。その音が響いた後には、懐かしい感覚が部屋を満たした。寂しさだ。この感覚を味わいたくないから人と深く関わらないようにしてるというのに。しかしこうなるとやはり人恋しい。というかユミカが恋しい。もう少しゆっくりしていけばよかったのに。

 

 

 

 

 

 

つづく!

 

 

 

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作者紹介

山城窓[L]

山城窓

1978年、大阪出身。男性。
第86回文学界新人賞最終候補

第41回文藝賞最終候補

第2回ダ・ヴィンチ文学賞最終候補

メフィスト賞の誌上座談会(メフィスト2009.VOL3)で応募作品が取り上げられる。
R-1ぐらんぷり2010 2回戦進出

小説作品に、『鏡痛の友人』『変性の”ハバエさん”』などがあります。

 

 

 

 

 

 

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