小説『777』ー⑪ー にゃんく

 ー⑪ー 

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 一夜明けて、太陽がのぼっていた。

 

 すがすがしい朝だった。灰色だった世界の景色が、昨日までとは一変して、色とりどりに輝いていた。

 

 みっくんにはいま金がなかった。けれどもミミラを失わずにすんだ。救われた。

 

 そしてもうひとつ、止めなければならないものがあった。

 

 ギャンブルだった。

 

 みっくんは固く決意していた。

 

 もういっさいギャンブルはやらない。今からなら引き返せる。新しい一歩を歩み出せる。

 

 新宿には近づかないようにした。新宿に行けば、あの店で、スロットを打ってしまうだろう。だから、新宿には近づかないようにした。

 

 そしてパチンコ屋の開店している時間になった。

 

 昼の十二時を過ぎようとしていた。

 

 みっくんは歩いて十分の、京王線の最寄り駅に行って、パンを買った。

 

 K駅前にはパチンコ屋がある。中にはスロットの台もある。

 

 どうしてもパチンコ屋が視界にはいる。

 

 ふらりと立ち寄りたくなる。

 

 何処かで誰かがまだ出していない、大当たりの出る台が放置されているのではないか。そう考えると、居ても立ってもいられなくなる。

 

 ひと目だけ見てみたいと思う。

 

 決して打たないから。金は使わないから。ホールに入って、台だけ見て帰りたい。それなら構わないだろう?

 

 みっくんは誰かに言い訳するようなことを考えながら、パチンコ屋に入ってしまう。

 

 店に入れば、みっくんの誓いを一瞬で瓦解させてしまうような、大音量の世界がある。

 

 そして誰かが大当たりを出している。

 

 自分も引けるのではないか。大当たりを。

 

 打ち方もわからずに、おばさんに教えてもらった、あのはじめての、大当たりを引いた時と同じように。ごく簡単に大当たりを引けるのではないか。

 

 解けない呪いにひきずり込まれるように、そんなことを思ってしまう。誘惑に負けて、みっくんは何処かの席に坐ってしまう。

 

 五千円で当たらなければ絶対止めよう、みっくんはそう考えながら恐る恐る千円札をメダル両替機に差し込む。まるでお札をゆっくり両替機に差し込むことによって、自分の誓いが破られていないとでもいうかのように。そして気がつくと、いつものペースでレバーを叩いている。その五千円がなくなっても、もう少し続ければ当たるかもしれないと誰かの声が聞こえる気がして、そのまま打ち続けてしまう。

 

 夕方ちかくまで打って、結局三万円負けてしまった。

 

 今日もまた、打ってしまった。打ち終わって負けて帰るときの自己嫌悪がすごい。

 

 

 一度立てた誓いを破るともう、だめだった。四日後の週休日に、みっくんの足は自動人形のように新宿のあのスロット店に向かってしまっていた。

 

 八割方負けると分かっていても。あとの二割に賭けたくなる。自分は二割の勝者の側にまわれるのではないか。その期待がギャンブルをやめようと決心したみっくんの足をスロット店に向かわせる。みっくんの勝ちをちょろまかそうとした、目の鋭い責任者のおとこがいる、あのスロット店だ。

 

 開店と同時にみっくんはホールの中を闊歩している。

 

 ギャンブルの世界に勝者なんてひとりもいないとしても。

 

 その現実に、頭のどこかで薄々気づきはじめていても。

 

 自分だけは、世界でただひとりの勝者になれるかもしれないという想念にとりつかれながら、ひたすらレバーを叩いている。

 

 左レールの中段に、チェリーが止まったあとの、ひりつくような期待感。2チェ(中段チェリーのこと)が決まると、低確率時でも二十五%以上、高確率時においては、百%の確率でバトルボーナスが出現する。チェリーの効果が持続している、三十二ゲームのあいだの、昂奮と不安の入り交じった期待感。期待どおりにボスキャラが現れた時の、階段を一段ずつ高みにあがっていくような、めくるめく陶酔感。こいつを斃せばバトルボーナスゲットだ。けれども、三十二ゲームが過ぎ、一回めのチェリーでは大当たりは現れない。そんなこともあるだろうとみっくんは自分を宥める。そしてほどなく、二回めの2チェが決まる。途端に演出が騒々しくなり、ケンシロウが廃墟の建物内の階段を駆け上がりながら、「ユリア―!」と叫んでいるシーンが映しだされる。階段がくずれ、暗闇に吸いこまれてゆくケンシロウ。ユリアは出て来ない。レバーを叩くと、シーンは切り替わり、人体実験の真っ最中であるアミバが登場する。アミバは史上最も弱いボスキャラだ。アミバと対戦できれば、ケンシロウが負けることは絶対ない。ケンシロウが勝てば、大当たりゲットだ。かわいそうな村人たちが、何人もアミバの生体実験にされる。あんなに漫画では正義感の強いケンシロウが、しかし村人たちが何十人死のうが無関心であるかのように、いつまで経っても登場しない。

 

 ホールで打っているあいだは、ひとりになることができる。ひとりでいても、誰からも後ろ指をさされることもないし、ひとりであることを後ろめたく思う必要もない。或いは、みっくんが憑かれたように打ち続けているのは、彼が孤独だからなのかもしれなかった。

 

 みっくんはスロットを打つことにより、此処ではない何処かに辿り着きたかったのだ。けれども、打ちおわったとき、いつも自分が何処にも辿り着けていないことを認識させられる。大音響が響いているホールは、収奪されているだけだという現実から、みっくんの目をうまくそむけさせてくれる。

 

 耳栓を忘れた。音がうるさくて仕方ないと思った時から、だいぶ経っていた。

 

 昼飯を抜き、夜飯も食べていない。とりたてて珍しいことではない。よくあることだった。

 

 耳の中が騒音でワンワン反響している。世界が歪み、回転した。大地震がやって来た。現実を破壊するような大きな揺れだった。みっくんは床の上に手をついていた。まだ揺れている。規則的に。心臓から送り出される血液の循環のリズムのように。余震が定期的にやってきている。

 

 時空の歪みがやや正常に戻りはじめる。音がすうっとひいていった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 店員に声をかけられた。椅子に腰掛けた何人かの客がこちらを振り返っている。握りしめていたメダル数枚が床に散らばっていた。まだ目眩がする。

 

「立てますか?」

 

 倒れているのは自分だけだった。

 

「……大丈夫」

 

 みっくんはよろよろと立ち上がり、店員の介助をめんどくさそうな素振りで振り払い、店内から歩いて出て行こうとする。もはや落としたメダルを拾う気力もなかった。フラフラする。朝から連続して打ち続けたために、気分が悪くなってしまったようだ。何か食事をとろう、とみっくんは思った。疲れているんだ。ご飯を食べれば回復するだろう。

 

 近くの吉野屋に入って、鮭定職を注文する。鮭を箸でつついて口に含むが、二、三口喉の奥に流し終えたあと、みっくんは席を立って突然後ろの階段をのぼりはじめる。二階へと続く階段の途中で、みっくんは坐り込んで頭をかかえる。手が真っ黒だ。気分の悪さは最高潮だ。階段へ逃げてきたのは、このような無様な姿を他人に見られたくなかったから。まともに椅子に腰掛けていることもできないほど、気持ち悪い。こんなことは、初めてだった。どうしてしまったのだろう。

 

 十分ほど蹲っていただろうか。いっこうに回復してこなかったので、無理にでも寮に帰ろうとした。電車には乗れそうもなかったから、道端でタクシーを拾う。車内に乗り込んだなり、後部座席に横たわる。みっくんは目印の警察署の名前を運転手に告げる。寮は警察署の裏側、野川のほとりに位置している。

 

 いくら負けたのかもわからないほど負けた。屈辱感と疲労感がないまぜになり、意識レベルが通常より下がっていることが自分でもわかる。

 

「お客さん、大丈夫ですか?」

 

 気分が悪いので横たわらせてと訴えるみっくんの台詞を聞いて、運転手が、「心配だなあ」などと言いながら、何度もちらちらとみっくんを振り返っている。しつこいくらいに「大丈夫ですか?」と繰り返すタクシー運転手のそのセリフには、まるで「こんなところで死なれたら、大迷惑だ」というセリフが直後にくっついてきているかのようだった。みっくんはミミラのことを考えていたら、気分が良くなってくるのではないかと思い、ミミラの顔を思い浮かべようとする。

 

 下路(したみち)を行くと時間がかかるからと言って、運転手が高速道路を使うことを提案した。みっくんはそれを許可した。もしこのまま意識を失ったり、或いは自力で寮に歩いて帰れないなどということになれば、ちょっとした騒ぎになることは間違いなかった。救急車と警察がやってきて、みっくんを介抱するとともに、住所を調べるだろう。名前と生年月日が知られれば、みっくんが警察官であることなんて、すぐにわかってしまうことだ。みっくんの所属警察署が判明する。後日、上司から、何処で何をしていたか、きびしく問い質されることになるに違いない。追及好きの警察官。彼らは疑うことが仕事である。嫌な仕事だ。みっくんに言い逃れはできないだろう。休みの日には全力でギャンブルに金をつぎこんでいるみっくん。こいつはいくら金を使っているのか? 厳しい身辺調査の手が伸びてくる。みっくんが消費者金融で金を借りている事実が判明する。或いは、寮の金がなくなっていることがバレる。そうなれば、一巻の終わりだ。自分は今、弱っている。金は必ず返すから。もう少しだけ見逃してくれないだろうか。そうすれば立ち直れる。ギャンブルにも二度と、いっさい手をだしません。新しい人生をミミラと共に歩みたいのです。誓っていいますが、そのために今回だけは見逃してほしいのです。お願いです。

 

 でもほんとうにそんなことは可能なのだろうか。自分が立てた誓いを、みっくんは考えたそばから一方で非常に疑わしく思っている。僕はギャンブルを永久にやめられないのではないか。我が身が破滅するまでそれをやめられないのではないか?

 

 ふと、みっくんはカケル君のことを思い出していた。「あの店には、魔物がいる」とカケル君は言った。「君も殺されないうちに逃げた方がいいぜ」と言って彼は警告を発していた。その警告が、今現実のものとなりつつある。みっくんはいま、何者かに殺されようとしていた。

 

 たしかに、ギャンブル店には、魔物が巣くっているとみっくんは思った。魔物というのは、店の店長やスタッフのことではなく、自分の心の中にいる魔物のことである。もっとお金が欲しいと思う心の中の魔物である。ギャンブルは、その魔物を刺激し、手がつけられないほど凶暴化させてしまうのだ。カケル君は、そのことをみっくんに忠告しようとしてくれていたのではないか。カケル君は必要以上に勝つことを避けていたし、みっくんが大当たりを引いたのに、今思えばそれを妨害までしたのである。彼はたとえどんなに心の強い人間であっても、その魔物に打ち勝てる者がいないことを、身に沁みて知っていたのだ。みっくんは急にそのような考えが、本当らしく真に迫っているように思えてきた。

 

 高速道路にはいり、車がちょっとした道路の継ぎ目の段差を通過するたびに、その振動が背中にこたえた。軀が弱っている証拠だ。スロットをはじめてから、風邪を引きやすくなっていた。スロット店の各階ごとに設置されているAEDが、何のために設置されているのか、みっくんはこの時分かったような気がした。負けがこみ、ショックを起こして死にそうになっている客のためにあるのだ。

 

 既にタクシーは三鷹料金所を通過し、まもなく出口の調布インターに差し掛かっている。

 

 許してくれるだろうか。こんな自分を。みっくんはそう問いかけていた。誰に問いかけているのか、何を許してもらいたいのか、当のみっくんにも分かっていなかった。或いはミミラに問いかけていたのかもしれないが、想像上のミミラはそれに答えてはくれない。無限の力の源泉であると思えるミミラでさえも、今のみっくんを救える力は、もはやないのかもしれない。

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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執筆者紹介

にゃんく

にゃんころがりmagazine編集長。
X JAPANのファン。カレーも大好き。

 

 

 

 

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